与党協議の意味(自衛権について その1)

2014-07-02

昨日7月1日、自衛権につき閣議決定(表題は「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」)がなされました。
今日も多くの方から声をいただきました。現場を歩き一番いただくお声が、賛成でも反対でもなく、「何を議論しているのかよく分からない。」でした。政府のみならず、私含め国会議員の説明不足であると思います。この点、率直にお詫びいたします。

そのうえで、「集団的自衛権」という言葉が一人歩きをし、今にも日本が戦争をするかのような混乱や不安を膨らませている現状に危惧を感じます。私には事実をきちんと伝える義務があると思い、取り急ぎの文にはなりますがメールいたします。

今回はまず、与党協議の出発点が「国民の権利・安全を守ることである」点を、協議の意味として書きたいと思います。すでにご存じの事項も多いかと思いますがご容赦ください。メルマガは、今回を含め、3、4回ほどになる予定です。

まず前提として「個別的自衛権」「集団的自衛権」とは何でしょう。

「個別的自衛権」とは、自国(日本)が攻められたときに「武力の行使(自衛隊による防衛)」が出来る権利です。「集団的自衛権」とは、他国が攻められたとき、これを自国(日本)が攻められたと同視し、「武力の行使」が出来る権利です。

二つの決定的な違いは、「自国(日本)が攻められたか、他国が攻められたか」つまり、「相手の攻撃が日本に向けられたか否か。」です。従来唱えられてきた「個別的自衛権は認められるが、集団的自衛権は認められない。」という結論は、言い換えれば、「自衛隊が防衛出動できるのは、相手の攻撃が自国(日本)に向けられているときだけである。」という基準を意味します。

ただ、ここで少し問題があります。分かりやすい例でいえば、先日も北朝鮮からミサイルが発射されました。1998年、2009年には、北朝鮮が発射したミサイルが、日本の上空を越え太平洋に落ちるということもありました。実は、ミサイルが日本を越えアメリカ領であるグアムなどに向けられた場合、先ほどの基準では、これは「他国」への攻撃であり、日本上空を飛んだ(間違えて日本に落ちることもあります)としても自衛隊は何も出来ないということになり得ます。

このような想定の議論だけでなく、現場の自衛官の立場に立ったとき、問題はもっと切実です。今まさに、ミサイルがうちこまれたとき、先ほどの基準では自衛隊は「このミサイルは、日本に向けられているのだろうか、他の国に向けられているのだろうか。」を考えなければいけません。考えている間に、ミサイルは日本に着弾するかもしれません。

日本の防衛のためには、自衛隊防衛出動の基準を、攻撃が「日本に向けられているか他国に向けられているか。」ではなく、「現に日本が危険にさらされているか。」という、より客観的な基準に変えなければいけないのではないか、その場合、「(振り返ってみれば)攻撃の対象が他国であった場合」も想定しないといけないのではないか(この場合、「集団的自衛権」という言葉の範囲に引っかからざるをえないというのが政府見解です。)という問題意識が、ここで出てきます。

与党協議の最終局面で議論していたことは、まさに、この日本を守るために必要な「個別的自衛権」に匹敵するほどの「集団的自衛権」とは何か、その基準を具体化することであり、あくまで「自国を守り、国民の権利・安全を守る」ための措置は何かということです。日本が「戦争・攻撃する国」になるかのような報道が目立ちますが、違います。与党協議の出発点は、「自国の防衛のため」何が必要か、であり、その限度に押さえ込んだのは実は公明党です。(政府も、公明党の意思をうけ、憲法解釈変更だけで自衛隊を他国防衛のために出動させることを認める議論を、早々に否定しました。)

次回のメルマガでは、合意の内容の詳細とともに、公明党が与党のなかにいなければどのような結論になっていたか、という観点も含め、公明党の役割をもう少し具体的に書きたいと思います。報道などでは、公明党が「陥落した」と書くものもありますが、陥落などしておりません。これは強調したいと思います。

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