2014-07-04 メルマガ

前回メルマガにて、『他国に向けられた攻撃』であっても、それを放置した場合、『「国民(この場合の「国民」は「国民全体」です)の生命等が侵害される』場合があり、備えが必要であることを記載しました。もちろん、これは極限的な場合です。ただ、事が起きてからでは遅いのも事実です。

しかし、日本には憲法9条があります。この9条を抱く日本国憲法は、防衛の理念として「専守防衛」を掲げます。これは「自国を守るためにしか武力行使しない」ということです。必要だ、必要だ、といって他国が攻撃されたことをもって幅広く自衛隊の出動を認めてしまっては、日本がそれこそ「戦争・攻撃をする国」になってしまいます。平和国家の理念は世界から消えてしまいます。

私の亡くなった父は大正15年生まれ(私自身は、現在39歳ですが)、戦地に行く寸前でした。伯父はビルマで戦死をしています。私も小学生時代、父に言われ「きけ わだつみのこえ」を読み、若者が国のためという美名のもと命を落とした現実に涙をしました。こんなことをさせた権力者に怒りを感じました。平和のために政治家になった、といっても過言ではないです。

与党協議における公明党の使命は、防衛の必要性は認めつつ、いかに憲法9条の理念を守るか、そこに尽きました。

公明党が与党協議でなしえた役割は何だったか。少なくとも三点あると思います。

まず第一に、憲法解釈による集団的自衛権の「全面行使」(私はこれを「100%集団的自衛権」と言っております。)の道を、政府にはっきり否定させた点です。

山口代表が「反対」と強調し、今も公明党議員全員が「反対」であるのが、この「集団的自衛権の全面行使容認」です。前々回のメルマガで記載したとおり、安倍総理が5月15日の段階で、解釈によりこれが許されるとは考えないと明言し、「自衛隊が武力行使を目的として湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません。」と言及したことは、従来の主張からの大転換であり、公明党の粘り強い主張によるものです。

その場限りの発言だ、という人もいます。しかし、総理の発言というものはそんな軽いものではないはずです。今後は、総理のこの発言を国会審議で担保することが大事です。

第二に、日本が他国の戦争に巻き込まれることのないよう二重・三重の歯止めをかけ、「自国を守るため」の基準は何か、明確にした点です

今回の与党合意によると、他国への攻撃の場合、以下の新3要件全てを満たした場合のみ、自衛権を行使できることとなります。

1)「自国(日本)と密接な関係のある他国」が攻撃され、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由および幸福追求の権利が根底から覆される」「明白な危険がある」とき、
2)武力の行使以外の適当な手段がなく(それが「唯一の手段」であること、を意味します。まず外交努力が大事であり、それを尽くしてもなお解決に至らない場合に限ります。)、
3)武力行使の程度が必要最小限度であること

次回のメルマガで詳しく記述したいと思いますが、相当厳しい基準です。国民全体の生存が根底から覆される危険が明白に「ある」場合に初めて満たされるのであり、ほぼ日本が攻められている場合も同然です。「個別的自衛権の範囲内」といってもよいものです。評論家の佐藤優さんは、東京新聞の記事において、「この程度の内容であれば(中略)個別的自衛権で理屈をつけることもできた。」と仰ってます。まさに「自国を守るため」の基準であり、「専守防衛」の理念の具体化です。

そして第三に、「さらに憲法解釈を広げるには憲法を改正するしかない(高村与党協議座長、自民党副総裁)」と、第一党である自民党に宣言させたことです。これは大事な点です。

これまでの憲法9条の歴史は、解釈変更の歴史でした。終戦直後、「自衛権」の存在すら認めなかったとされる政府の憲法解釈は、その後、変化をし、「自衛権」範囲を徐々に拡大して今日にいたっております。解釈による憲法9条の歴史は、今回の合意により、その限界を確定されたのです。

仮に公明党が与党にいなければ、早々に「連立を離脱してしまっていたら」どうなっていたか。

公明党自ら与党から離れてしまえば、もう公明党に遠慮する必要はありません。そうなれば、解釈変更による「100%集団的自衛権」です。国会の議席の数の上だけでは、いかようにしても「100%集団的自衛権」行使容認派で過半数をとることができます。そうなったとき、「公明党は連立離脱をしてでも反対を貫くべきだった」と公明党を批判する野党勢力は、どう抵抗するつもりだったのでしょうか。

本当の意味で、憲法9条を守ったのは公明党です。

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