メディア掲載情報

ヘイトクライム許すな

ウトロ地区訪れ住民と懇談
京都・宇治市で党PT

ウトロ地区の住民から声を聴く(右から)安江、浜地、矢倉の各氏=10日 京都・宇治市

公明党のヘイトスピーチ・ヘイトクライム問題対策プロジェクトチーム(PT、座長=浜地雅一衆院議員)は10日、在日韓国・朝鮮人が多く住む京都府宇治市のウトロ地区を視察した。一方的な偏見や嫌悪感による動機から、2021年に起きた放火事件に関して、浜地座長と矢倉克夫、安江伸夫の両参院議員が同地区の住民から声を聴いた。

子どもを産み育てた家が燃やされた女性は、偏った憎悪感情による行為を非難。元自治会役員の男性は、ネット上の情報によって、差別や偏見、憎悪に基づく犯罪「ヘイトクライム」が起きたことに懸念を示した。一行は「ウトロ平和祈念館」の展示も見た。

浜地座長らは「差別意識による問題が言葉による攻撃から憎悪犯罪に移行していることを深刻に受け止めている。これらが許されないということを、国政や社会に広げていきたい」と話した。

Greeting
ごあいさつ

こんにちは。矢倉かつおです。

皆様のご支援をいただき、参議院議員として全力の活動をしております。改めて、心から御礼申し上げます。

東西冷戦終結という激動のさなかに中学・高校という多感な時期を過ごした私は、その時から、自ら誇る「日本の力」を世界のために役立てる仕事をしたい!との思いを抱いておりました。

その後、日本はデフレ経済に陥り、そして東日本大震災、原発事故という未曾有の災害に直面しました。私が政治を志したのは、まさにそのときです。

世界のどこの国も、未来に対する不安を抱えている今こそ、私たち日本が世界の希望になるべきだ、そう確信したからです。世界のどこの国も経験したことがない苦難を味わう日本こそ、それを乗り越え、希望のメッセージを発することができるからです。私はその先頭に立ちたいと思います。

私が目指す社会は、誰もが「明日はもっとよくなる」、そう思える社会です。幸福な国とは明日への希望にあふれている国だからです。

座右の銘でもある「たくましき楽観主義」を胸に、現場を歩き、多くの方、とりわけ若者達に希望を与えることの出来る存在となってまいります。

矢倉かつお

7 visions
矢倉の7つの
ビジョン

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日本のため、埼玉のため、一人の声から、矢倉がやりました!

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活動実績

Field 1

日本の未来のために

「明日はもっとよくなる」
誰もがそう思える社会にするため、日々着実に日本を前に押し進めます。

2023.04.22
インターネット上での人権侵害に対し厳罰化
2022.09.22
「ストーカー規制法」の改正

Field 2

埼玉の未来のために

埼玉は、彩りあふれる「彩(さい)の国」であり「差異の国」でもあります。
東西南北に多様な表情を持つ埼玉こそ、日本の持つ可能性が凝縮されています。

2023.04.23
埼玉の道路整備に全力
2022.07.23
冠水被害のポンプ場の復旧支援

埼玉は、彩りあふれる「彩(さい)の国」であり「差異の国」でもあります。
東西南北に多様な表情を持つ埼玉こそ、日本の持つ可能性が凝縮されています。

Field 3

一人の声から実現

困っている方の助けになりたい。小さな声にも耳を傾けたい。
一人の声を実現することは、ひいてはより多くの方をお支えすることになります。

2023.03.09
くるみの食品原材料表示が義務化
2021.06.23
コロナプレハブ仮設病棟の活用

Profile
プロフィール

矢倉かつお

1975年(昭和50年)1月11日生れ
埼玉県さいたま市浦和区在住
元・経済産業省通商政策局通商機構部参事官補佐
日本、米国ニューヨーク州弁護士を経て、2013年の参議院選挙埼玉選挙区で初当選し、現在2期目。元・農林水産大臣政務官や参議院法務委員長などを歴任。
これまでの人生で起きた危機:中国旅行中に乗っていたツアーバスが山道を走行中にスリップし道路下に転落、九死に一生を得た。その後、同乗していた中国人のためにバス会社と交渉、賠償金を勝ち取った。

History
ヒストリー

懸命に働く父母の姿を見て育つ

私の「克夫」という名前には「自分の弱さはすべて克服していきなさい。自分の弱さだけでなく、世界の困難をも克服していくのだ」という思いが込められています。小学三年生のときに父が事業で失敗をし、その後は昼夜を分かたず仕事漬け。専業主婦だった母も新たに運転免許を取得し、ヘルパーの仕事をしながら家計を支えてくれました。

政治家との出会い

大学生の時、父が末期の肺がんであると判明。経済状況が苦しいなか、医療費をどう工面するか。助けてくれたのは一人の公明市議でした。教えて頂いた高額療養費制度を利用。父は一年半の闘病の末、95年に亡くなりましたが、関係ない世界の人だと思っていた政治家が、人生に深く関わってくれた。この経験は、議員として国政に挑戦する大きな動機となりました。

弁護士、経産省出向を経て、参議院議員へ

2011年3月11日 東日本大震災の発災時、私は経産省に出向中でした。
当時、省庁の縦割りシステムを打破せず、掛け声だけの「政治主導」に失望し、「現場の声に耳を傾け、心ある政治を行いたい」「自分が変えていく」と立候補を決意しました。
2013年7月21日、たくさんの皆さまに応援を頂戴し、埼玉選挙区で初当選。
初心を忘れず、これからもその大きなご期待を生命に刻み、全力で頑張ります。

 

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