2016-03-22
○矢倉克夫君
公明党の矢倉克夫です。
四人の参考人の先生方、本当にありがとうございます。
とりわけ崔参考人、恐怖と闘いながらの中で勇気を持って声を上げていただいたことを改めて敬意とともに感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
それで、崔参考人にお伺いしたいんですが、我々公明党も一昨年の七月にヘイトスピーチ問題対策に対する要望書をこれ官邸に提出いたしました。その中の一節でこういうふうに書いております。私も起草に参加はしたんですが、ヘイトスピーチ問題は単なる表現規制の問題にとどまらず、我が国国民のマイノリティーに対する意識、そして今後の日本社会の在り方に関わる問題であると。私、これもまた受けまして、昨年の八月、当委員会でこの問題、協議をした際にも申し上げたことは、このヘイトスピーチの問題というのは、本来、民主主義であれば言論対言論で対抗するわけでありますけど、大勢でわあっとがなり立てて対抗の言論すら許さないような形で威圧をしている、この民主主義の在り方そのものにも関わってくるような問題でもあるとともに、今、冒頭申し上げたように、やはり少数の方がおびえながら生きていかなければいけないような社会であったらこれはいけないと、日本社会の在り方であると、これ問題であるというふうに捉えています。
その意味からもお伺いしたいのは、公明党としましては、この問題は一部の特殊な事例のようなものもあるかもしれないですが、そうではなくて、やはり日本人、日本に住む人全体が、日本社会、全て共生し合うような社会としてあるべきためにはどうすればいいのか、それが今現状どうなっているのか、何ができるのかということを全体で考えなければいけない問題であるというふうにまず一点思っている、この点についてお伺いしたいのと、あと、被害に遭われたお立場からどのように思われているのかという点、まず一点お伺いしたいのと、被害に遭われたお立場からヘイトスピーチの何が脅威であるか。その言論の内容もありますし、態様もある、その両方かもしれないし、それ以外のものもあるかもしれない。ここにヘイトスピーチの脅威というものを感じるというものがあれば、ちょっと教えていただきたいというふうに思います。
○参考人(崔江以子君)
ありがとうございます。
ヘイトスピーチの脅威、全てが脅威です。警察に守られて白昼堂々と成人男性が、成人がマイクを通じて死ね、殺せと迫ってきます。その死ね、殺せという言葉に同調する方々が、笑いながら、私たちに向かって笑いながら指を指し、手招きをしてきます。
彼らの路上でのあのヘイトスピーチを聞いて、いわゆるサイレントマジョリティーの方々、自分としては特にネガティブな感情を今まで持っていなかったけれども、大きな声で毎回毎回あんなふうにこう言っているから、ひょっとしたら在日には特権があるのかなとか、そんなふうに扇動されてしまう方々が出てきてしまうのも大変脅威を感じています。
○矢倉克夫君
じゃ、改めてまた崔参考人に。
今おっしゃった、サイレントマジョリティーという人たちが、あのヘイトスピーチによって違う方向に意識を間違えてしまうというような、そういう脅威もあると。
そういうふうなものではなくて、やはり国民全体でもっとみんなが共生し合うような社会とはどうあるべきかということをしっかりと議論し合う機運というのは高めなければいけない、こういうような思いも今酌み取らせていただいたわけですが、その辺りについてはどのようにお考えでしょうか。
○参考人(崔江以子君)
ありがとうございます。
私たちの桜本地域では、その違いをとても豊かなものとして尊重し合っているんですよ。その違いが豊かだ、違いはすてきだね、川崎市の人権尊重教育でそういうふうに互いの違いを豊かなものであるというふうに教え、学び、育ってきた子供たちは、人の違いをとても大切にする子供として育っていきます。そして、中学、高校と進んだときに、そういうフィールドでそういう大切な学びができなかった人に伝える役割を果たしているわけですね。違いが豊かだというふうに学び合うことがとても大切だと思います。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
金参考人とギブンズ参考人と浅野参考人にお伺いをしたいと思います。
先ほどはギブンズ参考人から理念法というお話もありました。私も、このヘイトスピーチというものに特化した形での理念法というものを、これはあり得べきであるなというふうに思っております。それはなぜかといえば、少なくとも立法事実はこれはあるのではないかなと。司法の判断でも、先ほど金参考人から話のありました京都朝鮮第一初級学校事件の判断におきましても、ヘイトスピーチというものを、これは人種差別であって表現の自由の範疇を超えると、法の保護にも値しないというような判断がなされたというふうに私は記憶をしております。
他方で、今議題となっている法案でありますが、こちらについては、やはり様々、今のヘイトスピーチというものがいけないんだという理念を訴えるためには、まだ検討しなきゃいけない課題もあるかなというふうに思っているところであります。
先ほど来から話のあるヘイトスピーチとそうでないものの区別というものはなかなか明確でないだけでなく、対象として不当な差別的取扱いというものもこれ入っているんですよね。不当な差別的取扱いというものが何なのかというと、例えば住居の場合の対応の違いであったりとか、そういう言論の部分以外のところもいろいろと想定はされているんですけど、立法事実を、それを考える上ではやはりもう少し時間が必要になってくるというところもあるかと思います。
やはりその点で、かえって間口が広くなっている部分だけ、それを成案として検討していいかどうかという時間がすごい掛かってしまって、本来必要であるヘイトスピーチの法についての成立がなかなか遅れてしまっているというようなこれ問題もあるかなというふうに思っています。その意味でも、ヘイトスピーチとそれ以外の区別というのはやはり明確にしなければいけないかなという検討もあります。
さらに、今の法案の課題というものの一つは、先ほど審議会という話がありましたが、この審議会は内閣府の方に置くという形であります。行政がそういう点でも関わってくるというところは、表現の自由、その抑圧というところでどういう意味があるのかというところ、これも検討しなければいけないと。
このような理解の上で二点お伺いしたいんですけど、ヘイトスピーチとそれ以外の政治的言論との区別、これはどのように図るべきであるのか。また、表現の自由との、これは最大の課題でありますけど、これを考える上でどのような点を慎重であらねばならないと考えるのか。この二点についてお伺いをしたいと思います。
○委員長(魚住裕一郎君)
では、順次簡潔にお願いします。
○参考人(金尚均君)
政治的言論とヘイトスピーチの違いですけれども、これについても京都地裁判決は明確に述べております。京都事件でも、いわゆる被告側、被告側におきましては、自分たちの言論というものは政治的言論であると、それを制限してはいけないというふうな主張をしました。しかし、政治的言論のために、朝鮮人を殺せ、ないしは海にたたき込めというふうな、単に脅迫的だけではなくて、殺せというふうないわゆる扇動までをする、そこにまさに政治的言論を超えたヘイトスピーチ、すなわち人種差別表現が明確に区別されるものとして出てくるというふうに判決は示しておりますので、その点、既にもう日本の社会においては、日本の司法の現場ではこの政治的言論並びに人種差別表現の区別は判例で出ているというふうに考えます。
○参考人(スティーブン・ギブンズ君)
たまたま昨日、偶然インターネットで、一八九九年にまだ若いウィンストン・チャーチルが中近東で記者をやっていたときのエッセーを読みました。そのエッセーの内容は何かというと、イスラム教の国はなぜ文明国になり得ないか。一つは、普通の科学、合理の通用しない宗教と文化であると。もう一つは、女性を軽蔑し奴隷扱いする文明であると。それが長く引用されて、一番最後に、今日現在のイギリスのヘイトスピーチ法にはこれは引っかかるのではないかということなんですね。
ですから、私は、その線引きは非常に難しくて、何がいけないのかというのは、やっぱり幾らガイドライン書いても非常に難しいのではないかと思います。
○参考人(浅野善治君)
今いろいろ、今日の議論の中でも、例えば人間の尊厳ですとか、威圧ですとか、恐怖ですとか、死ね、殺せとか、いろんな表現が出てきているわけですけれども、じゃ仮に人種等を理由とする意見というものが全ていけないのかというと、やっぱりそうではないんだというのは大体皆さんお分かりになるんだろうと思います。
そうすると、人種等を理由とする意見の中の差別的なものは駄目だよといって、そこまではいいのかどうなのか。差別的なものはいいとしても、不当な差別的なものなら駄目なんだとか、じゃどこで線を引くんだと、こういう話になるわけですよね。そこのところで、例えば死ね、殺せというようなことがあったとか、威圧的なものだったとかということがあったときに、じゃその中の何が人間の尊厳を害しているのかと、こういう話になるんだろうと思います。ですから、そういったことの中で、例えば、死ね、殺せといったものだけ規制すればいいんだよというのであればこれは簡単にある意味できるのかもしれませんが、それだけで十分かという問題がもちろん出てくるわけですよね。
そうすると、じゃ何を規制しなきゃいけないのか、こういう話の中でそれがうまくすくい取れるかどうかというのが実は問題になるんだろうと思います。そういったことの中で表現の自由ということがあったり政治的な言論だったりという話があるんですが、じゃどこでどう区別していくかということになるとすれば、やっぱりそういう行為によって不適切だということが起きてくるわけですけれども、その不適切だということによって一体何が害されているのかということ、これを具体的に見ることだろうと思いますね。
そこの中で具体的に害された権利の侵害というものがあるのであれば、これはそれを救わなきゃいけないねというようなことになるかもしれませんし、個人の権利ということではないにしても、例えば社会的に極めて解決しなければいけない具体的な不都合が生じているということがあるのであるとすれば、それはやっぱり何とか解決していかなきゃいけないねということがあるんだと思いますし、ですから、具体的に何が引き起こされているのか、それが許されるのか許されないのかということを検証して、それをどう図っていくのかということになるんだろうかというふうに思います。
そこで、その具体的な範囲というもの、具体的な救わなきゃいけない害悪の範囲というものがきれいに書けるのであるとすればこれはきれいな法律になるのかなというふうに思うわけですけれども、なかなかそれは、あらゆるものを考えなきゃいけませんので、かなり時間も掛かるし慎重に検討しなければいけないんじゃないかなと、そんな感じがしているところでございます。
以上でございます。
○矢倉克夫君 ありがとうございました。
いただいた御意見を参考にして、しっかり与野党で合意をできるように頑張っていきたいと思います。ありがとうございます。