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この人に聞く 公明党の副大臣

信頼と共感、得られる財政に
財務副大臣 矢倉克夫 参院議員

財務副大臣 矢倉克夫 参院議員

――就任の抱負を。

数字のみで捉えがちな行政に対し、国民の生の声や現場感覚を反映していくことが、公明党出身の副大臣として担うべき役割だと肝に銘じています。国民生活を守り、日本全体に希望が生まれるよう、現場主義に徹し、国民から信頼と共感が得られる財政に全力を傾けます。

――今後、特に取り組みたい政策は。

まずは、物価高対策の早期実行を進めていきます。また、経済の好循環を生むためにも、企業が賃上げしやすい環境を整えるとともに、中間層も含めた家計の可処分所得を向上させていくことが不可欠です。世代を問わず生活にかかる固定費の負担感が増していることから、その軽減を図れるような取り組みを後押ししていきます。

――そのほかの重要課題については。

10月から始まるインボイス(適格請求書)制度については、円滑な運用に向けた体制を強化しながら、事業者の税や事務負担を軽減する政府の支援策について丁寧な説明を尽くしていきます。一方、防衛力整備や少子化対策の財源確保に関しては、その意義を説明しつつ、まずは歳出改革といったムダを省く努力を重ねていきます。

Greeting
ごあいさつ

こんにちは。矢倉かつおです。

皆様のご支援をいただき、参議院議員として全力の活動をしております。改めて、心から御礼申し上げます。

東西冷戦終結という激動のさなかに中学・高校という多感な時期を過ごした私は、その時から、自ら誇る「日本の力」を世界のために役立てる仕事をしたい!との思いを抱いておりました。

その後、日本はデフレ経済に陥り、そして東日本大震災、原発事故という未曾有の災害に直面しました。私が政治を志したのは、まさにそのときです。

世界のどこの国も、未来に対する不安を抱えている今こそ、私たち日本が世界の希望になるべきだ、そう確信したからです。世界のどこの国も経験したことがない苦難を味わう日本こそ、それを乗り越え、希望のメッセージを発することができるからです。私はその先頭に立ちたいと思います。

私が目指す社会は、誰もが「明日はもっとよくなる」、そう思える社会です。幸福な国とは明日への希望にあふれている国だからです。

座右の銘でもある「たくましき楽観主義」を胸に、現場を歩き、多くの方、とりわけ若者達に希望を与えることの出来る存在となってまいります。

矢倉かつお

7 visions
矢倉の7つの
ビジョン

日本のため、埼玉のため、一人の声から、矢倉がやりました!

actograph
活動実績

Field 1

日本の未来のために

「明日はもっとよくなる」
誰もがそう思える社会にするため、日々着実に日本を前に押し進めます。

2023.04.22
インターネット上での人権侵害に対し厳罰化
2022.09.22
「ストーカー規制法」の改正

Field 2

埼玉の未来のために

埼玉は、彩りあふれる「彩(さい)の国」であり「差異の国」でもあります。
東西南北に多様な表情を持つ埼玉こそ、日本の持つ可能性が凝縮されています。

2023.04.23
埼玉の道路整備に全力
2022.07.23
冠水被害のポンプ場の復旧支援

埼玉は、彩りあふれる「彩(さい)の国」であり「差異の国」でもあります。
東西南北に多様な表情を持つ埼玉こそ、日本の持つ可能性が凝縮されています。

Field 3

一人の声から実現

困っている方の助けになりたい。小さな声にも耳を傾けたい。
一人の声を実現することは、ひいてはより多くの方をお支えすることになります。

2023.03.09
くるみの食品原材料表示が義務化
2021.06.23
コロナプレハブ仮設病棟の活用

Profile
プロフィール

矢倉かつお

1975年(昭和50年)1月11日生れ
埼玉県さいたま市浦和区在住
元・経済産業省通商政策局通商機構部参事官補佐
日本、米国ニューヨーク州弁護士を経て、2013年の参議院選挙埼玉選挙区で初当選し、現在2期目。農林水産大臣政務官や参議院法務委員長などを歴任。 これまでの人生で起きた危機:中国旅行中に乗っていたツアーバスが山道を走行中にスリップし道路下に転落、九死に一生を得た。その後、同乗していた中国人のためにバス会社と交渉、賠償金を勝ち取った。

History
ヒストリー

懸命に働く父母の姿を見て育つ

私の「克夫」という名前には「自分の弱さはすべて克服していきなさい。自分の弱さだけでなく、世界の困難をも克服していくのだ」という思いが込められています。小学三年生のときに父が事業で失敗をし、その後は昼夜を分かたず仕事漬け。専業主婦だった母も新たに運転免許を取得し、ヘルパーの仕事をしながら家計を支えてくれました。

政治家との出会い

大学生の時、父が末期の肺がんであると判明。経済状況が苦しいなか、医療費をどう工面するか。助けてくれたのは一人の公明市議でした。教えて頂いた高額療養費制度を利用。父は一年半の闘病の末、95年に亡くなりましたが、関係ない世界の人だと思っていた政治家が、人生に深く関わってくれた。この経験は、議員として国政に挑戦する大きな動機となりました。

弁護士、経産省出向を経て、参議院議員へ

2011年3月11日 東日本大震災の発災時、私は経産省に出向中でした。
当時、省庁の縦割りシステムを打破せず、掛け声だけの「政治主導」に失望し、「現場の声に耳を傾け、心ある政治を行いたい」「自分が変えていく」と立候補を決意しました。
2013年7月21日、たくさんの皆さまに応援を頂戴し、埼玉選挙区で初当選。
初心を忘れず、これからもその大きなご期待を生命に刻み、全力で頑張ります。

 

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