2015-09-08
○矢倉克夫君
公明党の矢倉克夫です。
四人の参考人の先生方、お忙しい中、大変に貴重な御意見、本当にありがとうございました。非常に参考になりました。
お時間も限られておりますので、早速質問に入らせていただきたいと思います。私からは、まず神保参考人にお尋ねをしたいと思います。
今政治に問われている課題というのは、日本をいかに守るのかというところとともに、日本の繁栄の礎を築いていったこの世界の秩序というのをどうやって維持をしていくのか、この点であるかと思っています。
秩序とは、例えば自由で開かれた国際秩序、これはアメリカを中心にした国がつくってきたものではありますが、この動態にとりわけ東アジアの秩序の維持の確保というところで影響を与えるものが、言われているのがやはり米国と中国との勢力、力の関係、パワーバランスの変化であると思います。米中のパワーバランスの変化、とりわけ米中では力がどちらが優越しているかという縦の軸と、また米国、中国が協調しているか対立しているかという横の軸、それの相関関係というのが非常に重要であるのかなというふうに思っているところであります。
先生、先ほど、日本が直面した二つのミスマッチのうち、中国の台頭ということをおっしゃってくださったわけですが、先生の論文等も読ませていただいて感銘を受けたのは、この中国の位置付けというものを、秩序に対する単なる挑戦者とかそういうものではなくて、むしろ中国を秩序の一員とさせていってどのようにするのかというような視点が貫かれているところであったかと思います。私もこれは非常に重要だと思いまして、中国自身の今のこの力の向上というのは、当然ですけど、自由で開かれた秩序の中でのこの恩恵を受けて今こういう状態になっているわけでございます。
今日のお話に対する質問の前提としてお尋ねしたいのは、大変大きな総括的な話になってしまうんですけど、アメリカと中国の力のバランスが変化する中にあって、日本は、近隣国である中国との対処という点なんですけど、中国をこの秩序を構成する一員として統合していって、また共栄する道を探る、そのためには日本としてはどういうような戦略を描いていくべきなのか。これ、時間の制約の中で大変恐縮ですが、端的にお答えをいただければと思います。
○参考人(神保謙君)
大変大きな質問をいただいたと思っております。
委員お尋ねのとおり、中国は二〇一〇年から世界第二位の経済大国になりまして、第一位であるアメリカと台頭する中国との関係こそが特にアジア太平洋地域の秩序の中核となるというのは、そのとおりだと思います。
問題は、中国の成長が、現在はもちろんソフトランディングの方向に鈍っているとはいえ、依然として高い成長率のまま続けていっているわけでございまして、二〇一五年の中国と二〇年の中国と三〇年の中国というのはまるで違う姿になっているという、この動態的な視点を持って米中関係を捉えていかなければいけないということだと思います。
その際の原則はどういうことかというと、委員おっしゃるとおり、中国がかつての冷戦期のソ連と決定的に違うのは、中国自身が自由主義世界の中で恩恵を受けて成長を続けていることであり、その自由世界を否定することは自らの成長戦略の否定につながるということを前提とすべきだということだと思います。そうやって考えると、中国がこれから台頭する大国になるに当たって、自由世界の一員として責任ある行動を示すことができるのかということを常に問いながら、その中でアメリカと中国との関係をいかに安定化していくのかということが前提となると思います。
ただ、問題は、宮家参考人の方からの意見もありましたとおり、中国にはどうしても譲れない原則が幾つかあると思います。例えば、政治体制でいえば共産党の一党支配体制、経済でいえば七%成長を維持すること、そして安全保障や領土の問題でいえば主権を絶対的に保持していく、いわゆる彼らの核心的利益と定義するものに関しては今申し上げたような自由世界と決定的に対立する要素を持つ要素だということだと思います。
この要素をいかに管理しながら、力と、そして経済的な相互依存と、そしてルールの中で、どういうふうにマネージをしながら中国が最終的に建設的なアクターとして国際社会に参画していくのかということを日米が共同で、そして、ほかのライクマインデッドな国々と一緒に招いていく、つまり、中国と対立することが目的ではなく、中国が建設的なアクターになるように導いていくということが大変重要な原則だと考えております。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
今、力と、また経済的な相互関連性、またルールという観点から日米で共同でしっかり対処をしていく、そのいろんなパワーバランスの中で、この共同対処をしていく中で、やはり中国が建設的に関わっていく環境づくりもまたしていくのが必要であるというような御趣旨の話であったと思います。
先ほどお話もありました、この安全保障法制についてなんですが、安全保障法制も、続けてまた神保先生にお尋ねをしたいと思うんですが、日米同盟の強化を中核にしてシームレスな対応のための制度構築をするということ、これが目的であると思います。その目的の先にあるのは、今言った米中間のパワーバランスをどうやって安定化していくのかというような目的観に立った上でのお考えであるかと私は理解もしております。
このシームレスな対応をつくることの意味についてなんですが、安全保障法制というのは、この国際社会の、今るるお話もあった、パワーバランスが変化していく中で、いかに秩序維持、安定を図っていくかという現実的な国際政治の観点から生まれたものであるというふうに私は理解をしております。特定国の脅威とかそういうものを、それだけを念頭に置いているものではなくて、今おっしゃった大局的な観点の中でシームレスな体制をつくるということそのものが、いろんな変動するパワーバランスの中での各国の利害が絡んでいく中で、国際社会での各国の動きを最終的に安定に向かっていく方策になるという全体観に立ったこれは法案であるというふうに私は理解もしております。
ともすれば、安全保障法制というのも、これは抑止ということで、危機、急に来る危機に対して対処をすること、そのための方向性も当然あるわけですし、それが主要な部分ではあるんですが、そこの部分だけがわあっと強調されてしまって、日本がこの法制を今作ろうとしているのが、もう日本の目的が秩序の破壊者になるかのような、そういうような見方すら出てしまっている。誤解に基づくものでもあり、片目をつぶって片目だけを強調するような感じになってしまっているわけですが。
そうではなくて、この安全保障法制というのも、抑止力に基づく日本の防衛とともに国際社会の安定を、これをつくっていく、そして、先ほど先生もおっしゃってくださった、全体の秩序をつくっていく中で、それぞれが協調し合えるような体制をつくっていくための大局的な観点に立った、観点の上での法制であり、これは車の両輪であるというふうに私は捉えておりますが、この件について神保参考人から御意見をいただければと思います。
○参考人(神保謙君)
委員のおっしゃる全体的な構造の理解に私も賛同を表明するものなんですけれども、今日、私は中国と国を挙げて申し上げたいと思いますけれども、中国の台頭によってこれまで維持してきた安全保障体制や法律の制度で何が足りないのかということを考えると、私が冒頭に申し上げたとおり、二つの大きな視点に対する手当てが十分にできていないということだと思います。
一つは、グレーゾーン事態、つまり有事に至る前の段階で様々な主権の要素が脅かされるような事態に、新しい手当て、従来の警察権と自衛権のその隙間を埋める新しい手当てをしなければいけない。これは、実は日本だけではなくて、南シナ海の沿岸諸国のフィリピンやベトナムが同様に抱えている問題ということで、地域的な広がりを持つ重要な概念ということになります。
二つ目は、これは、アメリカが長期的な競争戦略という文脈の中で考えていることは、更に二〇二〇年代に台頭し軍事力を強化する中国といかなる形でアジア太平洋の秩序を維持するかということでございます。一九九〇年代であれば、仮に北朝鮮が何らかの行動を起こし、朝鮮半島で有事があれば、アメリカ軍は自らの軍事計画に基づき朝鮮半島に軍を展開することが恐らく可能であったでしょう。ただし、今日、中国がアメリカ軍に対する拒否能力、例えば仮に上陸作戦を行う際に拒否できるような能力を持った結果何が起こるかというと、アメリカの軍事行動には大きなコストが生じるか、若しくは米中関係がしっかりと了解と合意がないままに朝鮮半島有事には介入することは極めて難しいという、こういう世界になってくるわけです。
したがって、そのような事態においてもしっかりと周辺事態の中に関与していくためには、中国が仮に拒否能力を持ったとしてもそれを十分に突破できる能力を持つか、あるいは米中関係を安定的な形に持っていくかといういずれかの方法が必要でございまして、前者のために必要なのは新たな軍事体制とそれに基づく高強度、つまり低強度と高強度を埋めるシームレスな体制づくりということになると思いますので、以上の問題を考えますと、やはり新しい法案、新しいコンセプトがなぜ必要かということには十分な根拠があると考えております。
○矢倉克夫君
十分なそれぞれ根拠があるということを今確認をさせていただきました。大変参考になりました。
大森参考人にお尋ねをしたいと思うんですが、慶應義塾の名誉教授である小林節先生が衆議院の特別委員会において、憲法解釈の権限について、国会と内閣と最高裁にそれぞれ対等にあるというふうにおっしゃっていました。内閣が政策目標を決めるに当たって法制局の意見を聞きながら解釈を固める、その後、国会で立法の形で合憲判断をしながら採決等をしていく、最後、事件があった後に憲法問題が問題になったときに最高裁がまた判断をして、それがまた順繰り巡ってくるというような話もされていた。
私もこれ、最終的な権限は当然最高裁にある、その前提で、現実の判断の流れとしてはこの小林先生の意見に違和感はないわけですが、この点について元法制局長官としてどうお考えかという点をまず一点と、あと、先ほど武力の行使の一体化の議論の過程の中で改めて御経験を様々教えていただきました。内閣部局の一つである法制局の元リーダーとして、現職のとき本当に様々な意見、外務省の意見もあるし防衛省の意見もあるし、そういうものを全部情報も受けられて、いろんなお悩みの中でどうされたのかという御経験を拝聴させていただいたところであります。
私も今それを聞いて思ったんですけど、内閣法制局長官の発言の重みというのは、やはりいろんな情報を、現職にあるときに、いろいろ聞いて、それを法制的にどう整理をするのかという、そこの判断の中で苦しみながら、悩みながらやられていった御過程にあるかと思います。今の内閣法制局の方々もその中でいろいろと頑張っていらっしゃるわけですが、そのような現場の苦しみから生まれた発言には権威もあるかと思っておりますが、この点、御自身の御経験からお答えをいただければと思います。
○参考人(大森政輔君)
まず第一点の法律の解釈がそれぞれ三者にあるんだという御意見、それはもうごもっともなところで、結局、内閣を含めた行政機関による憲法解釈の変更も、それ自体は否定されるものではないと思います。
内閣が、その委ねられた職務の執行に当たって、その前提として憲法その他の法令の有権解釈を行い得るということは、これはもう学者もそんなに反対はございません。ただ、問題は、解釈変更後の内容が憲法その他の上位法に照らして適法と認められることが前提なんだと。したがって、有権解釈権を有する者がAからBに変えるぞと言えばそれで当然全て解釈は変わるものではないんだと。あくまで解釈変更後の内容が憲法に反するのかどうか、合致するのかどうかという検討を伴うんだということを申し上げたいと思います。
それから、もう一点は何でしたかね。
○矢倉克夫君
御経験から、様々、内閣法制局長官として、いろいろ検討された場合に、いろんな各部局の意見を聞いて、その情報もいただいたその悩みや苦しみの中で発言をされた経験、やっぱり内閣法制局長官の発言の重みというのはそういう現場の中での苦しみとかで生まれた過程の発言であるというところが大きいと思います。今、現場の法制局の方々もその中でやっていらっしゃるわけですが、そういうような過程を経られた法制局長官のこの言葉の重みの根拠というものを、御経験からまた感じられるところを教えていただければと思います。
○参考人(大森政輔君)
私の在職中もいろいろそれに関連した質問を受けたことがあるわけですけれども、そのために法制局参事官というのは一騎当千のつわものを集めているんだということでございます。したがって、その一騎当千のつわものが本当に十分な資料を集め、その資料の収集をやり、そしてそれを総合して、この関係についてはこういう考えがいいんじゃないかという見解を終局的には長官に上げてくるということでございます。
したがって、我々は、制度で権限を持つ、与えられるというよりも、日頃の研さんによって、それほどの検討をした上の意見ならばそれがもっともであろう、それに従おうという結果を催すことができるように日頃から十分研さんをなお積もうじゃないかといったこともございまして、普通の状態ならば全てそういう気持ちを持って仕事をしていたはずでございます。
ところが、どうも今回は、どう曲がったのか、それは言おうとすれば言えるわけですけれども、それが十分になし得ておらないというところに問題があるんではなかろうかと考える次第でございます。
○矢倉克夫君
終わります。