2014-10-07
公明新聞:2014年10月22日(水)付
政党政治の課題と公明党の挑戦
政党を取り巻く状況
各国とも世論調査で低い信頼感 政党支えた中間団体が衰退
《政党からの視点》
政党は民主主義にとって重要な装置だが、「脱政党」が叫ばれ、「政党衰退」が指摘されて久しい。日本を含めた先進各国で、政党への信頼は低下している。さまざまな既得権に縛られ、スピード感のある決定ができないことや、党内の激しい対立は珍しくない。また、日本の民主党が政権奪取をめざしたころのように、与党の政策決定にことごとく反対し、政治が行き詰まり状態に陥るような事例も起きている。
政党に対する有権者の目は厳しい。先進各国で国民の政党への信頼は、議会や行政に比べると極めて低い。
世界各国で共通の質問による世論調査を続けている世界価値観調査(第6波)によると、多数の国で、政党を「信頼する」(「非常に信頼する」「やや信頼する」の合計)は、「信頼しない」(「あまり信頼しない」「全く信頼しない」の合計)を大きく下回っている。日本の場合、「信頼する」は14.8%(「非常に信頼する」1.1%、「やや信頼する」13.7%)に対し、「信頼しない」71.6%(「あまり信頼しない」54.5%、「全く信頼しない」17.1%)である。(1)
また、NHKの世論調査によると、「政党を信頼していない」(「どちらかといえば信頼していない」を含む)は72%に達し、「政府」「中央官庁」「国会」などを上回り、政党はもっとも信頼されていない組織と見られている。(2)
◎深刻な低投票率
政党への不信感は先進国で目立つ低投票率にも表れている。わが国では、20代、30代だけでなく、中高年齢層の投票率の低下も見られる。内外の課題に現実的に対応しようとする政党の間では政策の違いは少なくなり、明確な争点は減少する傾向にある。景気悪化など国民の不満が増大すれば、空気を変えたいとの国民の思いを反映して、国政選挙で自動的に与党が敗北するような構図が出来ているようにみえる。
米国では政党は、大統領を生み出す重要な装置であるが、民主、共和の二大政党は共に、富裕層から多額の献金を受け、大衆の声が届きにくくなっており、「第三の政党」を待望する声は決して小さくない。欧州では右翼政党やネット政党の台頭など、伝統的な大政党を忌避する動きも目立つ。わが国でも、2012、13年の衆院選、参院選で自民党が大勝したが、勝因は民主党の失政によるところが大きく、日本維新の会(当時)や、みんなの党への支持も少なくなかった。また、最近の調査では民主党への支持は大きく後退したものの、自公政権に対抗できる一定規模を持つ政治勢力への期待は根強い。(読売・早稲田大学共同世論調査では「今後も政権交代を望む」65%、「二大政党制が望ましい」56%となっている=2014年1―2月調査)。つねに、有権者は現状に満足せず、新たな政治勢力の登場を待ち望んでいるように見える。
《有権者の側からの視点》
◎「個人化」する社会
政党の衰退や有権者の政党への不満は、政党それ自身によってのみ引き起こされたのではない。グローバル化の進展や経済発展に伴う豊かさの拡大、福祉制度の充実などによって、個人は、共同体や中間団体から切り離される。いわゆる「個人化」が進む中で、政党は、これまでの共同体や所属する集団の一員としての有権者ではなく、これら集団から距離を置いた個人としての有権者に向き合うのである。(3)
科学技術の発達や経済成長によって豊かさの恩恵を得た個人を、その影の部分である環境問題や経済、雇用、貧困などさまざまなリスクが直撃し、個々人が自らの人生に責任を持つように迫られている。
IT(通信技術)の進化などにより、一人の人間の力や可能性が大きく拡大する「個人の勝利」がうたわれる一方で、リスクと不安を背負わされた個人、有権者が現代の民主主義の主役なのである。
個人と国家を媒介し、民主主義を支えてきた労働組合や業界団体などの中間団体の衰退は、政党と有権者の関係にも大きな影響を与えている。個人を組織し、指示を与えてきた中間団体の多くは、自己主張を強め自己決定を重視する強力な個人の前に、政治面での影響力を弱めている。このため、中間団体に支えられてきた政党も大きな影響を受けざるを得ないのである。(4)
◎「そのつど支持」が一般的に
当然、投票行動は変化する。元々、わが国では米国のような政党帰属意識はほとんど見られず、政党支持は、政党それ自体だけでなく政治家や候補者への支持を含んだものであった。政党へのこだわりもなく、中間団体との関係も薄い有権者にとって、投票行動は、モノやサービスを購入する消費者のように、選挙のたびに投票先を変える「そのつど支持」が一般的になっている。(5)
その時々の「争点」によって投票先の政党や候補者を変更する。どんな選挙でも同一政党を支持する固い支持は今や少なくなっていると見るべきである。
もはや、政党支持を持たない無党派への認識を改めるべきだろう。特定の政党を支持するのではなく、選挙のたびに支持政党を変える有権者は、果たして無党派と呼べるのであろうか。
これは、1990年代の政党再編によって明確になった。ある調査によれば、1993年7月から96年10月までの政党支持の変動は、589サンプルのうち25.8%が同一政党支持、24.1%が支持政党変更者、一時無党派は47.7%(完全無党派は2.4%のみ)だった。「これらの数字は、日本の有権者の7割以上が調査期間中不安定な政党支持者だったことを意味している」と考えて間違いない。(6)
新党が次々に誕生し政党政治が流動化する中で、政党支持も揺れ動いたのである。
1990年代の一連の政治改革は、政治の主導権を「政治家から政党へ」と転換することが期待された。だが、政党の求心力を強めて政党支持を強めようとする試みは、政権交代可能な政治システムの実現という点では成功したかにみえたが、多様化する有権者に政党が応えようとして自身のアイデンティティーが不明確になり、バラバラになる中で、成功しなかった。もともと、特定の政党支持を持たない有権者は、選挙のつど、投票先を変えていく。
政党は不確かな支持に悩みながら、自らの主張を常に確認し、固めながら、支持を集めていく以外にないのである。
この有権者のダイナミズムを忘れ、教科書的な二大政党を日本に移植しようとしたのだから、挫折は当然の結果であろう。この失敗を繰り返してはならない。
民主政治における政党の役割
世論追随では責任果たせず 一対一の対話軽視が弱体化招く
政党に対する有権者の不満は大きいが、絶望しているのではない。政党に「期待することはない」は15%にとどまる調査もある。そこでは「長期的な視野に立った政策がある」「自分たちの意見を代弁してくれる」「弱い者の立場に立ってくれる」などの回答が上位に並んでいる。(7)
『直接民主政の挑戦』を著したイアン・バッジは「民主主義に欠陥があるとはいえ、それ以外に代替制度がないように、多くの民主主義国で、既存の政党は信頼できないと感じつつも、民主政治において政党に代わる装置はない。そんな実感を各国の国民は持っているのであろう。政党こそはここ二世紀のなかでの偉大な政治的発明であり、政党なくしては代表民主政はそもそも現代世界では機能しないであろう。政党だけが、社会全体の発展と展望を合理的かつ体系的に検討できる唯一の団体であり、またこれらを扱う中期的な計画を提案できる唯一の団体なのである」と指摘している。(8)
このように、政党の制度疲労や劣化は否定できないが、民主主義は議会なくしてはありえず、議会は政党なくして機能しない。政党(party)は、議会の重要な部分(part)である。議会政治の活性化と政党の活性化は表裏一体であり、政党の将来を考えるには、議会の在り方、有権者との関係を考えていく必要がある。
議会制民主主義において、政党は不可欠の装置である。日本においても、政党の誕生、発展が民主主義の定着をもたらした。わが国政党政治の発展に寄与した伊藤博文が指摘したように、「政党は政治的意見の異同から生ずる団体である」「人民が政見を異にする以上は、その仲間が合同しておらぬと甚だ不便である」。政治的な見解を同じくするものが集い、それに共感する国民の声を代表するのが政党である。
◎世論をまとめる機能
有権者はそれぞれの政党の主張を比較し、自分の主張と最も近いと思われるところを支持する。有権者が抱く政策への違和感も、政党内の議論を通して解消されることが期待される。政党内の議論こそ、政党の存在証明であり、政党を活性化させ、ひいては一国の政治に活力をもたらすものである。
党内議論もなく、党首の一言で政治路線が変わったり、他党との連携が行われたりすることが少なくないが、これでは、有権者の政党不信は増大するばかりである。政党内の議論が国民の多様な意見と響き合い、党内の合意形成が支持者、有権者の間での合意形成を促進するような構図が望ましい。
問題は政党の政党たるゆえん、すなわち議論をまとめ上げる機能が弱体化していることである。政党のガバナンス(自己統治)能力が欠如し、党内で議論がまとまらないような場面も見られる。
政党が党内の異論をまとめ上げることができなければ、存在意義はない。ところが、現実には重要政策をめぐって、党内が鋭く対立し、一向に重要政策がまとまらない政党もある。ただ、統一性に欠けることが、多様な考えを持つ人々に支持され選挙に有利に働くこともある。(9)
与党の任には堪えられないことは言うまでもないが、政党にとって、有権者の多様な声を反映して支持を調達するには、政策をあいまいにしておくという選択肢もあると思えるほどである。
一方で、個人化が進む有権者の声は多様なだけではない。一人の有権者の意見が短期間で急変し、民意が大きく変化することも珍しくない。こうした多様で変化に富む有権者の声をつかみ取るには、柔軟で変化に対応できる体制が政党には必要になる。そうした組織の構築を諦めると、もはや時々のマスコミによって表出される世論に追随していくしか道はなくなる。近年、多くの新党が誕生し消失していったのは、そうした柔構造の組織づくりに失敗したからでもある。
政党が本来の役割を取り戻し、復権を果たすには、逆説的だが、世論に追随するのではなく、政党本来の在り方に立ち戻るべきであろう。米国ではしばしば、政党は三つの部分からなると指摘される。(10)
「政府(議会)の中の政党」「組織の中の政党」「有権者の中の政党」という、三脚台のようなものである。わが国では、政府や議会での政党の存在感はそれなりにあっても、組織が全く整備されず、選挙民の中にも定着していない政党が目立つ。テレビやネットの中で、党首がパフォーマンスを演じても、その効果は一時的にとどまり、確たる存在感がないのである。政党として成熟していく努力があまりにも不足していると言わざるを得ない。
◎大統領型志向する政党も
地道に組織づくりや有権者への支持拡大に取り組むのではなく、派手なパフォーマンスによって各種メディアに取り上げられ、存在感を大きく見せようとする政党も少なくない。
有権者にとって政党選択が難しくなり、期待された政党重視が進まない中で、個人化や大統領型への志向が高まる兆しもある。これまでも、国政選挙などを一種のイベントと受け止めて、その時々で沸騰する政治リーダーへの人気などに影響される有権者も少なくなかった。
海外では、イタリアのベルルスコーニ氏はその典型であろう。パーソナル・パーティーと言われるように、指導者個人がメディアを通じたポピュリズム(大衆迎合)的方法で民衆の支持を集めることに成功し、政党もそれにけん引されて“急成長”したのである。
ここでも、政党の充実や進化は実現を阻まれている。政治指導者もマスコミも、政党を組織と見ることができなかった上に、テレビや新聞の政治報道や選挙報道では、政党よりも党首や党幹部が前面に出ることが少なくないため、有力政治家の前では、政党は後景に退くことになる。政党間の競争は党首間の競争になり、リーダーの存在感が政党の浮沈に直結するような事態になっている。(11)
世界各国で一人の政治家が前面に出てくる政治や、大統領制型といわれる政治においては、強力なリーダーシップが国民の支持を集めることが少なくない。多くの政治家や候補者も自分自身の選挙での勝利のため、人気のあるリーダーを待望するものである。しかし、こうした人気が永続することは少ない。政治指導者への熱狂的な支持が、怒りの不支持へと転換する事例は枚挙にいとまがない。
中間団体という支えを失い、組織づくりも進まない政党は、戦略なき企業が、つかみどころのない顧客の大海に投げ込まれたようなものである。有権者を消費者と見なして、宣伝に努める試みもあるが、提供しようとする政策に明晰さや一貫性がなければ、相手にされない。
政党はやはり、組織を強化し、対面活動を重視して一人一人の有権者をつなぐ努力を重ねなければならない。だが、大半の政党はその方向に進まず、テレビやインターネットなどメディアの風に乗って人気を得ようとしているように見える。
あれほど注目された「新しい第三極」が、以前のような支持を失っているのは、政党の原点である一人一人の有権者との対話を軽視したからではないだろうか。
公明党の取り組み
地域で最も身近な政党 日本政治の“座標軸”に
◎確固たる大衆の基盤
中間団体の影響力が減退し、個人化が進む中で、多くの政党、政治家は漂流を続けている。定見を示し、政策を掲げ、民意形成を促すはずの政党が、民意をつかめず、マスコミが提供する世論調査結果に飛びつき、それに従う姿さえ目立っている。世論調査での「民意」や「世論」は必ずしも、国民の声ではないにもかかわらず、確かな大衆基盤を持たない政党にとって、道しるべは見えず、メディアに表れた民意や世論に依存するしかないのであろう。
長年、多数の中間団体に支えられて拡大を遂げてきた自民党でさえ例外ではない。高度成長時代には可能だった十分な利益配分は困難になり、グローバル化の中で官僚の裁量の範囲も狭まるばかりだ。もはや業界全体を守ってくれるような政策は打ち出されることはない。安定的な経済発展に支えられた政官業の三角構造は、過去の成功物語にすぎないのである。
長年、さまざまな交流を通じて、国内の中間団体と重層的なネットワークを形成してきた自民党でさえ、それらを軸に拡大が難しくなっている中で、同じような試みをしようとした多くの新党が成功するはずはない。足場もなく漂流を余儀なくされるのは当然であろう。
一対一の対話を軸に、確固たる大衆の基盤に支えられた公明党にはこのような漂流はない。
自民、社会両党による55年体制のころから、公明党は大企業や利益団体、労働組合に支えられる政党ではなく、一人一人の大衆を基盤にして発展してきた。個人化が進み、多くの政党が一人の有権者と対面で納得や合意ができない中で、その基盤は強固である。
現代社会が新自由主義や市場重視の潮流の中で、個人化が進めば進むほど、一人一人への配慮や支援が求められることも事実である。利益団体の要望に配慮した政策は国民の理解を得られない。公明党の組織原理は、マスコミの空気や世論の風ではなく「一対一の対話」「対面」での運動を軸にしている。公明党は、与党としての国益追求とともに、マイノリティー(少数派)や個人への支援を重視していく必要がある。
また、社会で個人化が進展するとともに、「個人化が逆に親密圏を生み、家族や夫婦などの間で選挙の支持や政治観の同一傾向をもたらす」のも事実である。(12)
大規模な宣伝やマスコミのその時々の風によらずとも、身近なところで、有権者の声を聞き取り、それを政策に反映していくことは、われわれには可能である。かつて丸山眞男が論じたように「本来政治を目的としない人間の政治活動によってこそデモクラシーは常に生き生きとした生命を与えられる」(「現代における態度決定」)のである。議員や党員が身近な人々との論議の中で参加を促していく中で、政治は活性化するはずである。
「そのつど支持」の有権者が増大し政党政治が流動化していると言われる中で、実は地域に根ざし強靱な組織を持つ政党こそが日本に求められているというのは意外かもしれないが、間違いない事実である。「日本には国民に根ざした政党がなくて、もしあるとすれば、おそらく自民党であり、公明党なのでしょう」(政治評論家の後藤謙次氏)との指摘もある。(13)
◎ネットワークを深く広く
丁寧に一人の有権者の声を聞くことと、組織政党であることは矛盾しない。むしろ、党員・地方議員・国会議員のネットワーク組織があるからこそ、有権者の声は政策や政治判断に生かされる。地域住民の党員、地方議員、国会議員との接点の多さにおいて、公明党は他の党を圧倒しているが、さらにわが国で最も地域密着型の政党として運動を展開しなければならない。ネットワークの太い動脈は党員、地方議員と国会議員だけではない。隣接する市町村や都道府県の地方議員同士のそれもある。その結節点になっているのは、地方議員である。一人は万人のためとの姿勢での地域課題の取り組みは、他の地域にも波動する。こうして、先述した「政府の中の政党」「組織の中の政党」「有権者の中の政党」という政党を支える三脚台は、公明党の場合、安定度と強靱さをより増すはずである。
政党のもう一つの大きな役割は合意形成である。結党から50年、公明党は現在、政権与党として保守・中道連立政権の一翼を担っているが、三十数年の野党時代も含め、一貫して「合意形成の政治」を追求してきた。例えば、日中国交正常化への貢献や、「福祉社会トータルプラン」の提言など福祉政策の充実、わが国の安全保障政策での国民的な合意づくりなど、不毛な対立を避け、国民的合意の形成に貢献した事例は数多い。そして今、新たな時代の進展の中で、「合意形成の政治」をリードする公明党の役割はますます重要である。
東西冷戦が終わり、左右の対立は国外でも国内でも見えにくくなっている。一方で、グローバリゼーションの進行により「分裂」と「格差」は深刻化している。価値観多様化の現代にあっては、多数決原理を民主主義の基本としつつも、アカウンタビリティー(説明責任)を重視し、十分な情報公開、情報提供と対話を進める中で、国民的合意を形成していくことが何よりも求められている。
公明党が「合意形成の政治」を推進できるのは、党としてのガバナンス(自己統治)がしっかりしており、また一方で、中道主義という理念を持つ党だからである。
本来、政党は、理念や価値観を共有し、それに基づく政策を掲げて選挙を戦い国民の支持を得る、そして、その政策を実現していくという役割を持っている。理念や価値観を共有しないまま、ただ選挙に勝つためだけの選挙互助会的な政党や、選挙のたびごとに「この指とまれ」の、にわかづくり政党には、党としてのガバナンスがなく、「合意形成の政治」を推進する知恵も力も期待できない。
公明党は、党綱領に中道主義を明記した唯一の政党である。中道とは、政治理念としては「生命・生活・生存を最大に尊重する人間主義」であり、政治路線としては、日本の政治における“座標軸”の役割を果たすことをめざしている。座標軸の役割とは、具体的には(1)政治的な左右への揺れや偏ぱを正し、政治の安定に寄与する(2)不毛の対立を避け、国民的な合意形成に貢献する(3)諸課題に対し、時代の変化に応じた解決のための新しい政策提言を行う―の三つである。
中道の公明党として、ポピュリズム(大衆迎合)を排しつつ、いかにして幅広い国民合意を形成し、政治の新しい進路を切り開いていくか。「時代は限りなく中道志向で推移しており、言うならば全部が公明党に近づいている」(劇作家の山崎正和氏)、「日本の政党政治が右側へブレすぎないよう、中道の基盤をもっと分厚くする必要がある。右へ、右へとなびく競争ではなく、中道政治をめざして競争する。中道政治こそが、日本の政党政治が目指すべき道」(ジャーナリストの船橋洋一氏)と指摘される中で、「合意形成の政治」を推し進め、中道政治のさらなる深化をめざす公明党の使命は限りなく重い。
合意形成の政治 さらに推進
◎党を政治人材の宝庫に
さらに、忘れてはならないのは、「政治人材」の問題である。経済や教育、アカデミズムなどさまざまな分野で人材の必要性が叫ばれているが、政治分野も例外ではない。古くは「マドンナ旋風」、最近では「〇〇チルドレン」や、「△△ガールズ」など時々の政治の「風」によって、多くの新人議員が生まれたが、十分な活躍もなく終わった人も少なくない。これは、政党が人材を発掘し育成することを怠り、人気に依存したためである。政党には政治人材の発掘、育成が求められていることはいうまでもない。経済を活性化し雇用を増やし中間層に活力を取り戻し、少子化や高齢化に備えて社会保障を手厚くし……など、とても両立、鼎立しがたいような日本の課題に政党は立ち向かわなければならない。
グローバル化の中で国家そのものが大きく揺らぎ、民主主義の在り方が問われる時代にあって、政党も進化を遂げなければならない。「大衆とともに」進み続け、日本政治の安定をもたらしてきた公明党の責任は政治人材育成の面でもますます重い。
◎地方議会活性化の先頭に
最近、地方議員をめぐる問題が噴出しているが、民主主義における地方議員の重要性は言うまでもない。憲法では、自治体の長も、その議会の議員も、住民が直接選挙で選出することが定められている。いわゆる「二元代表制」である。
二元代表制の下では、首長と地方議員とが互いに抑制、競争し、自治体運営に従事することが期待された。地方議会は政策立案と行政の監視という重要な役割がある。だが、実際には、議会を支えるスタッフは首長に比べて圧倒的に不足している。条例案の大半は首長によって提出されている。
地方議会は首長の監視役にとどまらず、地域住民の意見を集約し政策形成の機能を果たすべきである。公明党は、地方議会の活性化のために「議会基本条例」の制定を進めてきたが、地方議会の「見える化」とともに、この動きを加速させたい。
地方議員には、「有権者が抱える課題と、それを解決するための糸口へとつなげるグーグルのようなポータルサイトの役割が求められている」(河村和徳東北大学大学院准教授)との指摘もあるが、これはネットワークを持つ公明党でこそ可能である。
首長と議会で、前者が脚光を浴びることが少なくないのは、個人政党や大統領型の政治と無縁ではない。一人の政治家と大勢の議員とは最初から、マスコミの扱いが違い、前者の言動がクローズアップされがちだ。首長の中には、地方議会無用論とは言わないまでも、議会の役割を無視し直接、マスコミや住民に呼び掛け、議会不信をあおるような動きも見られる。
こうした動きを許さないためにも、地方議員は住民奉仕に徹し、地方自治の前進へ取り組みを重ねなければならない。
地方議会の復権のためには、議員一人一人のパワーを強化するとともに、党派を超えた議会改革のリード役を公明党が果たさなければならない。地方分権の潮流の中で、地方議会で活性化の動きが目立っているのは時代の趨勢であろう。さらに、議会事務局や議会図書館の強化など、地方議会をバックアップする仕組みを整備していく必要がある。
大都市を中心に一時の新党ブームで当選した地方議員も少なくない。地元住民との強い信頼関係もなく、ネットワークもない状態では、人々に応えることなどできないはずである。
◎新党ブームの教訓
地方自治では、必ずしも政党の役割は想定されていない。「地方議会に政党の争いを持ち込むな」という声もある。だが、中央と地方の政治はまったく別世界のものではない。その時々の新党ブームによって、同じ地方議員が何回も所属政党を変えることは珍しくない。都市部では所属政党によって、有権者が候補者、議員を判断することは珍しくない。ここでは政党が一種の「ブランド」なのである。
新党ブームを経て、その看板で多くの新党の地方議員は誕生したが、どんな実績を挙げただろうか。党組織が全国に展開しており、実績があり、議員、党員のパワーがある。そんな実態がなければ、もはや住民から信用されない。地域に根を張り、50年の歴史を刻んできた公明党だからこそ、住民の信頼を勝ち取ってきたし、その信用を土台に新たな前進も可能なのである。
先に述べたように、公明党が、党員、地方議会から国会までネットワークを重層的に張り巡らせることで、住民の要望を国政に伝え、動かすことが可能になる。地方自治で「脱政党」を語るなら、住民の要望を実現するメカニズムをどう確保するつもりなのか明示するべきであろう。
(1)世界価値観調査第6波(2010―2014)から「政党の信頼度」への回答
(2)『2010年の『政権交代1年の評価―「政治と社会に関する意識・2010」調査から』(NHK)。このほか、朝日新聞世論調査2007年6月18日掲載によると、政党が「期待されている役割を果たしている」とみる人は10%にすぎず、「そう思わない」が86%に上ったと報道されている。
(3)宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』岩波書店 2010年 宇野は「人々を組織してきたさまざまな中間集団は、いまやその機能を低下させています。グローバル化が進む中、伝統的な企業、組合、結社などは、いい意味でも悪い意味でも、その構成員を、その内側に閉じ込めておくことができなくなりました。元々、『根の浅かった』日本の政党は、これらの中間集団の弱体化によって、ますます社会との接点が薄弱化し、断片化しています」と論じている。
(4)山口二郎『ポピュリズムへの反撃』角川書店 2010年。
「民主主義を再生させるためには、中間団体をいかにして再生させるかという問題が重要な手がかりとなります」
(5)松本正生「政党離れから『そのつど支持』の時代へ」『月刊公明』2006年6月号所収
(6)蒲島郁夫『政権交代と有権者の態度変容』木鐸社 1998年
(7)『自民大勝の背景と有権者の受け止め方~「参院選後の政治意識・2013」調査から~』(NHK)
(8)イアン・バッジ『直接民主政の挑戦』杉田敦ほか訳 新曜社 2000年 イアン・バッジは、さらに、「政党はそのときどきによって異なる条件のもとで存在してきた。(中略)既成政党が衰退しても、古いライバルや新しい政党が勝利しているのであって、それが政党間競争に新しい活力を注入することにもなっている」とも述べている。
(9)谷口尚子「2009年政権交代の長期的・短期的背景」『選挙研究』 26―2号、木鐸社 2010年。谷口は「(民主党は)内部の政策志向の分散は非常に大きく、時間的変化を経てなお、リーダー層内の政策的距離は埋まっていないことが明らかになった。しかし、これを『包括政党』に欠かせない『政策的多様性』として、積極的に評価すれば、多様な有権者を惹きつける成功因になっているかもしれない」と指摘している。
(10)飯尾潤「政党」福田有広・谷口将紀編『デモクラシーの政治学』所収 東京大学出版会 2002年
(11)コリン・クラウチ『ポスト・デモクラシー』山口二郎監修、近藤隆文訳 青灯社 2007年。「党の指導者のカリスマ性の喧伝、それらしいポーズの写真や映像が、争点や利害の対立をめぐる討論に取って代わりつつある」
(12)吉田徹『感情の政治学』講談社 2014年
(13)「安倍新内閣・日本政治の復権はあるか」御厨貴/野中尚人/後藤謙次『文藝春秋』2013年2月特大号所収