高校生の教育費 軽減を
所得制限なく無償化進めよ
参院予算委で矢倉氏
参院予算委員会は6日、石破茂首相ら全閣僚が出席して総括質疑を実施し、公明党の矢倉克夫氏が質問に立った。
質問する矢倉氏=6日 参院予算委
矢倉氏は、各種子育て支援策の所得制限に言及し、教育費の割合が高まるとされる高校生世代を育てる家庭から、“税や社会保険料の負担がある一方で、所得制限により支援が受けられない”といった声が寄せられていると指摘した。
その上で、0~2歳児の保育料無償化の拡大や、子ども医療費の高校3年生までの無償化を掲げる公明党の「子育て応援トータルプラン」を紹介。誰一人取り残さない観点から、各種支援策の所得制限を緩和・撤廃していく方向性が求められていると訴え、子育て支援のさらなる拡充を求めた。石破首相は「責任感を持ってやっていきたい」と答えた。
住環境の整備、賃貸も
安心の住まい確保に向けて矢倉氏は、若年層で持ち家率が下がって賃貸住宅に住む人が増えているほか、高齢者では家計に占める住居費の割合が高いと指摘。住宅ローン減税といった従来の制度は維持しつつ「賃貸を含め、住みたい場所に住める環境を整える支援をすべきだ」と主張した。中野洋昌国土交通相(公明党)は「持ち家、賃貸双方のニーズに応じた住まいの確保を支援する必要がある」と応じた。
また矢倉氏は、私立幼稚園などに対する国の支援に地域間格差があるとして対策を要請。石破首相は、他の社会保障制度との整合性も踏まえ成案を得る考えを示した。
政治改革について矢倉氏は、公明党が他党に先駆けて「政治改革ビジョン」を示し、現実的に与野党の合意形成を図ってきたと強調。その上で政治資金をチェックする第三者機関に関し、不正防止の観点から「政治団体に対する立ち入り調査なども認めるべきではないか」と提案した。
防災・減災対策では、「5か年加速化対策」が残り1年超で終了することを踏まえ、引き続き予算のさらなる確保を要請。中野国交相は「実施中期計画」の策定に向け「検討を最大限加速化し、必要十分な予算の確保に努める」と答えた。
地方創生のあり方を巡って矢倉氏は、東京と地方が「共通の利益」を実感できる仕組みづくりが不可欠だと指摘した。
こんにちは。矢倉かつおです。
皆様のご支援をいただき、参議院議員として全力の活動をしております。改めて、心から御礼申し上げます。
東西冷戦終結という激動のさなかに中学・高校という多感な時期を過ごした私は、その時から、自ら誇る「日本の力」を世界のために役立てる仕事をしたい!との思いを抱いておりました。
その後、日本はデフレ経済に陥り、そして東日本大震災、原発事故という未曾有の災害に直面しました。私が政治を志したのは、まさにそのときです。
世界のどこの国も、未来に対する不安を抱えている今こそ、私たち日本が世界の希望になるべきだ、そう確信したからです。世界のどこの国も経験したことがない苦難を味わう日本こそ、それを乗り越え、希望のメッセージを発することができるからです。私はその先頭に立ちたいと思います。
私が目指す社会は、誰もが「明日はもっとよくなる」、そう思える社会です。幸福な国とは明日への希望にあふれている国だからです。
座右の銘でもある「たくましき楽観主義」を胸に、現場を歩き、多くの方、とりわけ若者達に希望を与えることの出来る存在となってまいります。
2013年
参議院議員
矢倉かつお
1975年(昭和50年)1月11日生れ
埼玉県さいたま市浦和区在住
元・経済産業省通商政策局通商機構部参事官補佐
日本、米国ニューヨーク州弁護士を経て、2013年の参議院選挙埼玉選挙区で初当選し、現在2期目。農林水産大臣政務官や参議院法務委員長、財務副大臣などを歴任。
これまでの人生で起きた危機:中国旅行中に乗っていたツアーバスが山道を走行中にスリップし道路下に転落、九死に一生を得た。その後、同乗していた中国人のためにバス会社と交渉、賠償金を勝ち取った。
私の「克夫」という名前には「自分の弱さはすべて克服していきなさい。自分の弱さだけでなく、世界の困難をも克服していくのだ」という思いが込められています。小学三年生のときに父が事業で失敗をし、その後は昼夜を分かたず仕事漬け。専業主婦だった母も新たに運転免許を取得し、ヘルパーの仕事をしながら家計を支えてくれました。
大学生の時、父が末期の肺がんであると判明。経済状況が苦しいなか、医療費をどう工面するか。助けてくれたのは一人の公明市議でした。教えて頂いた高額療養費制度を利用。父は一年半の闘病の末、95年に亡くなりましたが、関係ない世界の人だと思っていた政治家が、人生に深く関わってくれた。この経験は、議員として国政に挑戦する大きな動機となりました。
2011年3月11日 東日本大震災の発災時、私は経産省に出向中でした。
当時、省庁の縦割りシステムを打破せず、掛け声だけの「政治主導」に失望し、「現場の声に耳を傾け、心ある政治を行いたい」「自分が変えていく」と立候補を決意しました。
2013年7月21日、たくさんの皆さまに応援を頂戴し、埼玉選挙区で初当選。
初心を忘れず、これからもその大きなご期待を生命に刻み、全力で頑張ります。