2009年~ 経産省時代

経済産業省へ新たな挑戦

2009年初頭、新たな転機が訪れます。経済産業省より弁護士としての経験を活かし国際交渉の仕事に携わることの要請をいただいたのです。「官主導から民主導へ」という時代の転換期を見据えて弁護士になった私だからこそ、あえて官僚の世界に飛びこんだときに、私ならではの仕事ができる。そう考え決意いたしました。
所属法律事務所のご理解をいただき、事務所に所属しながら経済産業省に出向の形を取りました。経済産業省への出向の任期は2年。任期はのちに延長の要請をいただき、最終的に政治の世界に入ることを決断するまでの3年3カ月間にわたって経済産業省で勤務することになります。
私は通常であれば、いわゆるキャリア官僚が就任する参事官の補佐役として抜擢を受けました。経済産業省の通商機構部という部署に所属し、さまざまな国際業務の案件に携わることになります。

偽ブランド品を撲滅せよ!

2009年に経済産業省職員として赴任すると、最初に模倣品対策の仕事に取り組みました。海外各国では、本物そっくりのブランド品を偽造して高額で販売する悪徳商法がまかり通っています。偽物、まがい物を高い値段で買わされれば、消費者は無駄なお金を支払わされてしまい、メーカーは、多大な損害をこうむる。また、こういった模倣品による収益が、反社会的組織に流れているのです。模倣品による違反行為は、日本のビジネス界の利益を侵害するだけではありません。世界の秩序にも関係します。したがって、模倣品ビジネスは日本として看過できないのです。

そこで欧米各国を巻きこみ、国際協定を締結して模倣品対策を一歩前に進めることを目指しました。まず日本とアメリカが共同提案して協定の枠組みをつくり、その枠組みにシンガポールやオーストラリア、ニュージーランド、韓国、モロッコ、カナダ、EU(欧州連合)など世界各国を巻きこむ。さらには中国やインド、ブラジルなど新興国にも協定に参加してもらい、世界のビジネス界共通のルールを策定しようと考えたのです。

私は特に税関での取り締まりや刑事罰についての交渉を担当しました。条約をバランスが取れた形にするため、世界中あちこちを出張して歩きました。

A国に××という法制があるせいで、B国やC国は協定に合意できてもA国は合意には至らないかもしれない。どううまく折り合いをつけて、すべての国を合意に導くことができるか。問題点を一つずつ地道にクリアしていく作業が続きました。

コンビニおにぎりと徹夜の激論

国際交渉の最前線で奮闘した結果、「偽造品の取引の防止に関する協定(ACTA)」は2010年10月に妥結に至ります。 妥結に至るまでの最終盤では、東京で会合を開いて二週間ほとんど眠らずにぶっ続けで会合を続けました。経済産業省のトップである事務次官や、国際通商の舞台で指揮官を務める経済産業審議官、さらには各国のトップ級のリーダーが外務省や経済産業省の大部屋に集まって徹夜で議論を重ねます。ゆっくり食事に行っている暇などなく、コンビニで買ってきたおにぎりを頬張りながら奮闘したのも懐かしい思い出です。

海外出張はエコノミークラスで

経済産業省での3年3カ月の間に、合計で約30回の海外出張を経験しました。ただし、私の出張時は、当然ながらエコノミークラスを利用。ビジネスクラスの優雅な渡航など、夢のような世界です。

日本からジュネーブへは直行便がないため、乗り換えをしなければならないのも体力を消耗しました。乗り換えはパリを経由することが多かったです。パリに午前4時に到着し、寒い空港のロビーで2時間ほど待つ。
それからジュネーブ行きの便に乗り換えるというコースが多く、当然のことながら、パリに長めに滞在して街でゆっくり買い物をすることなどできるわけがありません。

トラブルも多かったです。ロンドン経由でジュネーブに向かったとき、なぜか経由地のロンドンから荷物がジュネーブに届かなかったことがあります。旅行カバンが行方不明になってしまったのです。ジュネーブでの出張初日は、スーツもなくヒゲもそれませんでした。仕方がないので、行きの飛行機で着ていたセーターにジーンズ姿で国際会議に出席し、日本代表として発言するという場面もありました。

パリ経由でジュネーブに向かおうとした際、パリのシャルル・ド・ゴール国際空港が寒さで凍ってしまい、飛行機が着陸できなかったことがあります。飛行機はパリには着陸せず、そのまま南フランスのトゥールーズ空港に向かいました。トゥールーズ空港で飛行機に閉じこめられたまま4時間が経過し、ようやくパリに着陸。ところが今度はパリからジュネーブ行きの飛行機がなく、しかもシャルル・ド・ゴール国際空港のロビーで野宿しなければなりませんでした。

約一週間の日程で海外出張に出向くと、仕事が山積みでゆっくり食事をしている暇などありません。睡眠時間は限界まで削り、ホテルの部屋にいる時間さえたった数時間という有り様。食事をする暇も観光している時間もなく、出張時の一週間は毎食ケバブ(パンに肉や野菜を挟んだサンドイッチのような食事)をかじり続けたこともあります。

このように恵まれた環境ではなかったものの、かえって仕事にはハングリー精神を燃やして臨むことができました。だからこそ、諸外国のタフ・ネゴシエーターと喧々諤々渡り合っていくことなどできたのだと思っています。

熾烈な国際交渉の現場にて

経済産業省での経験から、国際交渉の現場で優位に立つためには、まずは各国の主張の特徴や意思決定のプロセスを正確に見極めることが大事であることを痛感しました。

たとえば、アメリカとぎりぎりの交渉をしている際、先方の担当者が前に言っていたことと違う意見を急に出してきたり、意見を二転三転させることがあります。そんなときには、アメリカの議会の誰がどんな意見を言っているのか分析する必要があります。アメリカは「民意の国」と言われ、議会の力が強いのです。また、EUは、自らの主張を「複数の加盟国全部の総意」であるとし、国際会議の場で意見を強く主張することがあります。しかし、内実はEUの総意に反対の国もあります。そんなときは、EU内の反対国と接触することもあります。 交渉を重ねている相手国のどこに、今押すべきボタンがあるのか。正確に把握しない限り、交渉は破談します。情報戦争に勝つため、毎日、大量の情報をインプットすることは基本業務でした。

それぞれの国の意思決定における特徴をつかみ、緩急をつけて議論する必要がありました。経済産業省で取り組んだ国際交渉の仕事は、外交官の仕事とほとんど変わりはありません。

私は高校生時代、外務省に入って外交官になりたいと志望していました。その志望が大学入学後に変わり、司法試験に挑戦して弁護士になったわけです。弁護士として社会に出た結果、法曹界の仕事だけではなく外交官とほとんど遜色ない仕事ができる。人生とは不思議なものだし、無駄はないのだとつくづく思います。

 

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