政治を志す転機となったのは、2011年3月11日に発生した東日本大震災でした。
あの日、私は経済産業省16階で会議中でした。
荒れる海の上に小舟でいるような大きな揺れに驚きと恐怖を感じました。その後の惨状は目を覆うばかりでした。
「政治主導」とは、このような緊急時のための言葉だったと思います。
しかし、霞が関から見た私の目から見て、当時の政権与党の行動は、「政治主導」とはほど遠いものでした。
「主導」するためには、現場を歩き、生の声を直接聞き、霞が関その他に伝え、組織を動かす原動力としなければならないはずです。
しかし、被災地からは、当時の与党の国会議員は被災地にいっても写真をとって帰るだけ、まるで観光旅行のようだったという批判の声まで届きました。
また、緊急事態なのですから、省庁の縦割りシステムを打破するような指示、つまりまさしく、「政治主導」の指示を出すべきだったと思いますが、そのようなことはほとんど起きませんでした。
対策本部をたくさん立ち上げることに忙しくなり、復興のタイミングを逸してしまったように思います。
掛け声だけの「政治主導」に失望し、ある種の危機を感じた私は、政治の革新のために、何かできないか、と真剣に考えました。
「現場の声を受け止め、同苦し、悩みながら解決する。そんな心のある政治を行いたい、自分がその先頭に立ちたい!」そう思い、私は、2012年4月19日、公明党の青年局次長として参議院議員選挙の埼玉選挙区予定候補の公認をいただき、政治活動を開始しました。
公認をいただいてより休みなく、埼玉県をまわりました。あとから振り返り、当選までの日数を数えると、458日間です。
埼玉県というところは、「彩(さい)の国」と言われます。彩りあふれる地域という意味です。その彩の字は「差異(さい)」につながる、とおっしゃった方がいました。私の尊敬する方です。
埼玉というのはまさに「差異の国」だ!東西南北に多様な表情を持つ「日本の縮図」である、埼玉県をまわり確信しました。埼玉の具体的な声のなかにこそ、日本の抱えている問題が凝縮されている。問題を解決するヒントがある。埼玉を起点に問題解決の糸口を探れば、ひいては日本全体を問題を解決する方途が見つかるはずだ。
そう思った私は、「知恵は現場にあり!」――この信念のもと、中小企業を中心に1000社以上のお声を聞き、農業従事者の方々などの訴えを聞きました。
「強い日本経済を復活させてほしい」「景気回復の恩恵を庶民の手にも!」――回ってきた1000社以上の中小企業の方々から寄せられた声を、絶対に無駄にはできない!日に日にその思いを強くしました。
どこに行っても応援をしてくださる方々の声がありました。どれだけ励みになったかしれません。
雪の日の街頭演説、新幹線が泊まるようなときも、聞きつけた方が40人ほど集まってくれたりしました。
夏の日、汗だくの私の顔にそっとタオルを置いてくれた方も。
小さなお子さんが寄ってきて、「矢倉かつおさん頑張って!」と、似顔絵を渡してくれたときは感動で涙がでそうになりました。
また、著名人の方からも様々なエールをいただきました。4月29日には、敬愛する政治評論家の森田実先生と対談の機会をいただきました。
「公明党の議員は困っている人がいたら、すぐ飛んでいく」「徹底的な現場主義」「若い後継者がどんどん育ってきている唯一の政党」「中央と地方が一体になって一番頑張っているのは公明党」などと、熱のこもったエールを頂戴しました。最後には、「公明党の応援団になりたい」とニッコリ。森田先生と固い握手を交わしました。
◇森田実氏と矢倉かつおの熱血対談のさらに詳しい内容はブログで公開中!
このように周囲の期待、温かさを感じ、感謝の思いで埼玉県内を走り抜きました。
2013年7月4日、いよいよ公示日です。
第一声は大宮駅、およそ2000人の方が集まる、大集会となりました。公明党山口代表がきてくださり、激励してくださいました。
選挙戦の過程の詳細はこちらをご参照ください。暑い夏の選挙でしたが、大好きな自転車を乗り回り、広い埼玉を走りきりました。新しい時代を開くのは青年の熱と力である!強く訴え、ご期待をいただきました。
そして投票日前日である20日の夜は、最後の最後まで、浦和駅の駅頭に立ち続けました。なんと驚くべきことに、その知らせを
聞いたたくさんの方々が、私の激励のために浦和駅へ浦和駅へと駆けつけてくださいました。その数およそ200人から300人!「ただ一人になろうとも最後まで立ち続ける」――そう誓っていた私でしたが、大変な思い違いをしていることに気がつかされました。私は決して一人ではない、「世界最高の支持者」の皆様に応援をされた、「世界一幸せな候補者」である、勇気百倍で選挙戦を終えました。
そして迎えた投票日、午後8時の直後、埼玉選挙区・矢倉かつおが当選確実となりました!(NHK報道)当選確実の報を耳にしたとき、各地でお会いした、お一人おひとりのお顔や、メールなどを通して届けていただいた励ましのメッセージが、走馬灯のように蘇りました。
今、参議院議員として活動させていただいているのも、支持者の皆様、お一人お一人の勝利の上に築いていただいた金字塔である、今、心の底から、そう実感いたします。心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。
これまで、矢倉かつおへ寄せていただいた、大きな大きなご期待を命に刻み、「世界で勝てる日本をつくる」ため、全力で頑張ります。