2015-05-28
○矢倉克夫君
公明党の矢倉克夫です。
今日は、小木曽参考人、小沢参考人、泉澤参考人、大変貴重な御意見を賜りまして、心から感謝申し上げます。本当にありがとうございます。とりわけ、小沢参考人からは、御自身の、また御家族のつらい経験等もこの場のような形でしっかりとまたお話しもいただきました。大変参考にさせていただきました。
私も法律家の端くれの一つではあるんですが、やはり法律家はどうしても、例えば刑事裁判とはこういうものであるべきだであったり、思考の部分で最初から枠を決めて議論をするところがありまして、また目的に向かって必要最小限のことを聞くというところがあるんですが。お話をお伺いもして、国民の観点、市民の観点というところからすると、被害者の方が聞きたいことを聞くという、そういう機会をしっかりと与えていく、その思いを伝える、ぶつけるという機会を大事にしていくということはやはり大事なことであるなと。目的としてもまたしっかり考えていかなければいけないところであるし、被害者の人権ということも考えていかなければいけない、更に検討しなきゃいけないことであるというふうに改めてお教えいただきました。本当にありがとうございます。
後ほど時間があればその点もまた御質問させていただきたいと思うんですが、ひとまず今日は法案のところを、まず先に裁判員制度のところで参考人に御質問をさせていただきたいと思います。
まず小沢参考人にちょっとお伺いしたいと思うんですが、今回の法案、一つは、審理が長くなる可能性のある裁判員裁判、そちらについては裁判員裁判の制度から除外をして普通の裁判官の裁判に戻すということが一つの問題になっています。大体それは長期がどれぐらいかというところなんですけれども、先ほど小沢参考人のお話の中でも、この裁判員裁判の制度というものの重要性の観点から考えると、裁判員の負担というところ、そこはある程度考慮をしなければ、考慮というのは、負担もやはり前提として考えなければいけないというような御意見もあったかと思います。
その負担とのバランスで、今回、裁判員制度から除外すべき部分というのはどれぐらいなのかというところが問題になっておりまして、今までですと、大体、選任から判決まで百二十五日間ぐらいが最長、あと百日間があったりとかするんですが、今までの議論ですと、それぐらいまでは裁判員として現に今までできてきたわけですので除外はしないだろうというような論調が非常に強い部分ではあります。
この点、他方で、長期にわたる裁判ほど国民の関心も高いわけですから裁判員裁判でやるべきではないかと、その辺りのバランスをどう捉えるのかというところが非常に問題なんですが、率直な御意見として、大体これぐらいであれば裁判員として負担を感じながらでもやはりやるべきではないかというところがもしございましたら、御意見をいただければと思います。
○参考人(小沢樹里君)
非常に難しいことだと思います。百日の段階で、遺族がどのように関わっているかというその御遺族の状況であったり、事件の裁判体の、それこそ無罪を争うのか争わないかによってもすごく意見が分かれるのではないのかなと思うんですけれども、私だけの意見として考えるのであれば、やはり争う事件であって、遺族も関心があって、遺族がやりたいという意見があるのであれば、しっかりと裁判員裁判を取り入れてもらいたいなと思いますけれども、裁判員の意義というのがやはり非常に大きいと私は感じているものですから、百日で区切るのか百一日で区切るのかとかというような部分に関して、私自身で意見を言うのは非常にちょっと難しいのかなと感じています。
ただ、少なくとも裁判員の意義があるのではないかと思っております。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
なかなか具体的に区切るというのは難しいというのは本当に私も感じているところではあります。ただ、御意見としては非常に、ありがとうございました、貴重なところでありました。
同じ質問を泉澤参考人にさせていただきたいと思うんですが、先ほども冤罪防止等の観点からも裁判員裁判制度というのを評価される御意見ございました。そういう部分では、今回、この裁判員裁判制度の趣旨というところからであればできる限り裁判員裁判制度をやるべきなんですが、制度自体の趣旨を崩さないように一定の除外を認めたというところであります。
この点についてどのようにお考えであるのか、御意見をいただければと思います。
○参考人(泉澤章君)
結論からいうと、私も小沢参考人と同じように、なかなか、日数で区切るとかそういう客観的な基準を、仮にもしも例外を認めるとしたら基準を立てるというのは難しいと思います。
やはり、最初に言いましたけれども、制度設計を最初考えたときに、さんざん議論した末、しかしここの部分について例外を設けなかったというのは、あり得べき制度としてやはり裁判員裁判でやるべきだという裁判については、工夫を幾つかしたり、その点について例えば改正があり得るとしても、例えば区分審理の問題なんかもそうだったんですけれども、しかしそれは制度を十分に活用できるのではないかということが前提だったと思います。その後出たいろんな長い裁判、百日を超えるような裁判、先ほど先生もおっしゃいましたけれども、でも、それでもやはりあれはできたわけですよね。
また、じゃプラス何日だったら、プラス一週間だったらもうできなくなっていたかといったら、やっぱりそういうことはないわけであって、むしろそのときに求められるのは法曹三者の協力の仕方ですよね。協力というのは、裁判の進行や工夫の仕方。そこら辺がうまく工夫できてやれば、架空の論理ではやはり例外ということはあり得るかもしれませんけれども、それを言ってしまえば法律は全てそうなのであって、やはり先ほどの小沢参考人と同じように、あり得べき、つまり裁判員裁判としてあり得べきものであれば、裁判の対象なのであれば、私は裁判員裁判でやった方がよろしいというふうに考えております。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
おっしゃるとおり、できる限り裁判員裁判でやるべきであると。簡単にここから先はできるできないというふうに区切れるものではないというところはやはりあるかと思います。その点では、今お話もあった法曹三者の協力というものも、運用というものもこれからしっかりどうやっていくとかというところが大事であるかと思います。
それで、小木曽参考人にお伺いしたいんですが、どうやってこれを区切っていくのかというところ、過去の例等で形式的に区切るというのはなかなか難しいというところであるかと思います。
その上で、じゃ、著しく長期であるとか、そういうものを他方で全く個別に判断するだけではなかなか難しいところもあって、ある程度の基準を持って、しかし余り形式的に区切らないようにするにはどのような努力が今後必要であるのか、御教示いただければと思います。
○参考人(小木曽綾君)
これは部会の議論でもかなりな時間を掛けて議論があったところであります。先ほども申しましたように、何日で切ることはできないという結論に至ったというのは今までの議論のとおりであろうと思います。
これは、自分が例えばどこかの会社に勤務していて週五日で働いていてという、そういう労働形態であったらどうだろうかというふうに考えたときに、今例えば何かの仕事をやっている、プロジェクトをやっているとかという仕事をしている、そこからどのくらい離れたら職業人としてやっていけるんだろうかというような視点でも議論はあったわけですけれども、また、それが四か月なのか六か月なのか一年なのかというような議論がありました。これも結局結論は出ませんでした。
じゃ、将来的にもしそのような事態が生じたときにどうするのかということですが、これは初めから一年、二年掛かるということになれば、いかなる負担を強いてでも裁判員でやれということには無理があろうということであろうと思いますけれども。
それより前の段階というのは、やはり選任手続に入ってみて呼出し掛けたけれども十分に集まらないというような事例が出てきて、これは当事者それから裁判所で考えて、どう考えても無理だよねということになったときにその判断がされて、そして、そういう事例が、めったにないといいながら積み重なるというのはちょっと矛盾しているんですけれども、しかし、過去にそういう事例があった、それと比べてどうだろうというふうにして、だんだんでき上がっていくのではないかというよりほかにお答えのしようがないようにも考えております。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
あと、先ほど小木曽参考人、四日間の事例を挙げられました。インフルエンザで解任された裁判員の方がいて、補充が見付からなかったと。たしか、これ水戸かどこかの事案だったかと思うんですけど。審理がある程度長期にわたるかどうかというところとはまた別の要素でやはり欠員が出ることもあるということを示されたんだと思います。
そういう点では、例えば裁判員の補充の在り方とかもまた別途これから考えていかなければいけないと思うんですが、その辺り、また御教示、何か御意見ありましたら、いただければと思います。
○参考人(小木曽綾君)
これもやはり議論の過程で、それなら補充裁判員をできるだけたくさん置いておけばいいではないかという議論もありましたけれども、今法律では裁判員と同数以上の補充裁判員を置かないことになっていると思いますけれども、じゃそこの部分を改正して補充裁判員をたくさん置けばいいのかといいますと、しかし、補充裁判員というのは、そのために出てきて、裁判に列席はしますけれども評決権はないというような地位ですから、そういう役割を負う人をたくさんお願いするというのもこれもまたいかがなものだろうかということで、補充裁判員をたくさん置けばいいという解決にはならなかったものだと承知しております。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
ちょっと、最後の質問になるかもしれないんですが、今回の法案とは離れて、被害者の人権ということも今後やっぱりしっかりいろんな方面で考えていかなければいけないと、先ほども小沢参考人の話も聞いて私も思ったところであります。
とりわけ、被告人の人権を重視をしていくのは、これはやはり様々な観点からも大事な部分であるんですが、他方で、国民の司法に対する信頼感、裁判制度そのものを維持する上でも、被害者の人権という部分もやはり強調してこれから考えていかなければいけないというところでございます。
最後、ちょっと泉澤参考人、いろいろ刑事弁護等も担当されたお立場から、被害者の人権というところについて、今後課題とすべき、そしてどういうふうに考えていくのか、御意見等ございましたら、一言いただければと思います。
○参考人(泉澤章君)
先ほども言いましたけれども、私も被疑者、被告人を守る立場から、刑事弁護人としてずっとやってきたというのがあります。
ただ、そうはいえ、やはり、例えば実際交通事故のように、過失の責任はどうあれ人が亡くなったという事件もやるわけなんですね。犯人がまた全然別のところにいて亡くなった方というのと、ちょっとそれはまた性質が別になるというふうに思います。そういうときは私も、そういう方、御遺族のことはやっぱり考えざるを得ない。
また、弁護士というのはやっぱり逆転する立場があるわけですね。要するに、同じように被害者の方の立場に立って民事訴訟の代理人になることもあると。非常に複雑な立場に置かれるわけなんですけれども。そのときにやはり一番考えるのは、先ほども言いましたが、憲法というのは細かい規定を置いて被疑者、被告人の権利を守っている、これは国と、個人というか、被疑者、被告人とが究極の場で対決する部分であるからだということを話したと思います。
じゃ、被害者の方の人権はどうかというふうな話なんですけれども、被害者の方はもちろん憲法で人権、生命、自由、財産が守られているわけですね。これをどう具体化していくというのは、私の立場からはなかなか具体案というのは出てきませんけれども、やはりそれは非常に尊重されるべきだし、それでこそむしろ刑事司法制度だって円滑に回っていくんだというふうに思います。その点について、今までの弁護士としての立場から目が行き届かなかったり制度に対する無関心があったとすれば、私は率直にそれは反省すべきだなというふうには思っております。
ただ、そうはいえ、やはりしかし最後に付け加えなきゃならないのは、私どもは、と同時に冤罪被害に遭った人もたくさん見ているわけです。袴田さんは、要するに、まだ再審開始決定は確定しておりませんけれども、四十数年間勾留されていて、率直に言ったら、精神的には回復ができるかできないかという立場に置かれている。私が弁護人であった菅家さんという方も十七年間無実の罪で、彼は完全に無実だったわけなんだけれども、ずっと拘留され続けたわけですよね。彼の生命、自由、財産、取り戻せませんよね、彼自身も。ということについて、やはり最終的には、私の立場からは、どうしていくのか、これを制度の上でどう彼らの自由や人権を守るためにできるのかということに、やっぱり究極のある種の少数者の人権を守るという立場からは考えざるを得ないというところにあります。
ですので、簡単にバランスというふうに言えないことは重々承知はしておりますが、私の立場からは、やはり被害者の方の人権は本当に非常に重要である、しかし、やはり被疑者、被告人の方の人権というのが守られるようなきちんとした制度をつくっていかないと司法全体が立ち行かなくなるというふうに私は考えています。
以上です。
○理事(熊谷大君)
矢倉君、時間が来ております。
○矢倉克夫君
もう終わります。
両方守っていくように頑張っていきたいと思います。
ありがとうございます。