2019-11-28
○矢倉克夫君
公明党の矢倉克夫です。
三人の参考人の先生方、貴重な御意見を本当にありがとうございます。
私からは、まず、木村参考人にお伺いをしたいと思います。
今後の、後ほども、会社は誰のためのものかということも議論をする、それとも絡むんですけど、やはり声を上げる株主の存在というのは非常に大きいなと思っております。
その上で、他方、先ほど山下委員からもお話があった質問の中で、濫用と言われるものもあり得る、その前提で野村ホールディングスの話を挙げられたわけですけど、木村参考人のお立場から、濫用か濫用でないかというこの基準というか、どういうところが一番大きな区分けになるのか、御意見ありましたら教えていただければと思います。
○参考人(木村結君)
先ほどの野村のことはニュースにもなりましたので、しかも、トイレは全て和式にしろとか会社の名前を野菜ホールディングスにしろとか、荒唐無稽な提案が非常にセンセーショナルなニュースになっていました。それを見たときに、こういうことをする人というのはいるんだなと、それはどこの世の中にも、ここの場は、選ばれた議員さんは皆さん選挙によって選ばれておりますので、そういう荒唐無稽な方はいらっしゃらないと思いますけれども、世の中は、会社でも地域社会の中でも、やはり荒唐無稽な方というか、脚光を浴びたいとか、何かパフォーマンスをして騒がせたいとか騒ぎたいとかという方はやっぱり一定程度いらっしゃると思うんですね。
ですから、その一定程度、ほんの一握りの人を排除するために一般の人までも排除するという、法律で縛るというのはやはりやってほしくないなというふうに思います。そんな不自由さは、私は市民として嫌だなというふうに思っております。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
一定程度の人は、確かに会社のためと言いながら全く会社のことを考えていない、そういうような人も存在する、そこをどう排除するかという話なんですけど。
藤田参考人にお伺いしたいと思います。
ちょっと大久保参考人にお伺いしたかったんですが、大久保参考人の話の中で、やっぱり株主との対話の必要性という言葉があり、ちょっとその詳細をお伺いするお時間ないので、ただ、非常に重要な視点だなと。株主がどのような意思で、濫用的な、会社のことを考えていないかどうかということを、経営陣ともちゃんと対話をして、やり取りをした上で意思疎通していくという過程はやはり重要かなと思っておりまして、他方で、これは私の意見でもあるんですけど、それぞれが意思疎通していく中で、やっぱり議論を着地させるためのルールというものも当然必要で、私は、今回の議案の提案の数というものは、一つは、そのルールの一つとしては合理性はあるんじゃないかなという理解でおります。
その上で、ただ、お互いがそのルールを濫用し合うようなことがないように、例えば議案の数え方であったりだとか議論の仕方であるとか、そういうことが双方の公平な立場で、透明性があるルールの下でどれをどうやって議案としてまとめるかとか、そういうことが明確にルール化されることも、また今後、より一層重要だというふうに思うんですが、その辺りについて、今回の法改正と、また今の会社法全体の体系の中でそういうところが担保されているか、藤田参考人から御意見いただければと思います。
○参考人(藤田友敬君)
お答えさせていただきます。
まず、今回の提案数の制限についての位置付けは、まさに議員のおっしゃったとおりのものと理解し、設定されたルール、そのルールの下で、例えば十と定められた中で、十も提案できるとかなりのことは合理的な提案であればできると思われますので、その中で出すように工夫する。会社側も、出されてきたものをいたずらに細かく分けて提案数を増やすような読み方をして拒絶するなどということをしない、そういったことがもちろん一番重要なことだと思います。
そこから先、法律として何ができるかというのがかなり難しいところで、議案の数え方というのは法制審の過程でもいろいろ議論したのですけれども、確立した考え方がないためになかなかうまく条文化できないというところがございました。
一つ今回入れたのは、定款変更議案という形を取れば、何でも詰め込んで、そこで実質的には何十という事項を一つの議案であるかのように提出する、それをされてしまいますと、この十という上限、全く意味がなくなってしまうので、それについては会社側が適宜内容ごとに分けていい、しかし、株主として一つと必ず言えるようなカテゴリーをつくって、それによって会社側の余りにも乱暴な切り分けは阻止しようという形で若干の条文は作られましたが、これがされているのは、今、今回の改正に書かれていますのは定款変更議案についてだけであります。それ以外については、率直に申しまして技術的に書き切ることができないということで、議案の数え方、これ以上細かく切ってはいけないといったことについては書き切れておりません。ここは健全な実務の運用と裁判所によるコントロールに任せざるを得ないところがあります。
ただ、これは、現行法において議案の数え方や議案の立て方についてのルールそのものが明確な形で存在していなかったこと、そのことは、なぜそうなのかというと、そもそも議案の制限、数の制限といったことがこれまで明示的に法律上取り上げていなかったことからそういう実務が確立してこなかったことで、現段階ではやむを得ないのかなというふうに思っております。
以上であります。
○矢倉克夫君
今回、数が制限されるという案が今出ている、これは議案の数が法的に意味が出てくるということでもありますから、そういう意義をしっかり理解した上で、先ほど藤田先生が冒頭おっしゃった、会社法の世界だけじゃなくていろんな文脈も全部含めてそれを、今回の意味合いがしっかりとコーポレートガバナンスの向上に向けていくように議論していくということは、これ重要であるなというふうに今改めて理解をさせていただきました。
もう一つ、じゃ、藤田先生にお伺いしたいんですが、株式交付、ちょっと今日は、藤田先生、株式交付のことはおっしゃっていなかったんですけど、一つだけ、これもまた大久保参考人の御意見の中で、株式交付が株式交換制度として導入すべきというような問題提起も一つあったわけであります。今回は組織再編の中で株式交付も入っているわけですけど、強制的にやる組織再編とはまた別に、任意の動きとしての株式交付、これはまた、現物出資とかそういう方面でも議論するべき話だったんじゃないかというような意見もあるかと思いますけど、最終的には組織再編の中の一つとして株式交付入っているんですが、この辺りの経緯等、もし議論の中でありましたら教えていただければ。
○参考人(藤田友敬君)
確かにこれ、現物出資の特則という形で制度をつくることが不可能ではないかと思います。ただ、現物出資の特則という形でつくってしまいますと、なぜそんな特則を特定の文脈で設けるのか、世の中でそんなことが行われる必要があるからという以外の説明ができるのかといった、そんな疑問が出てこないとも限りません。
それに対して、組織再編の方から出発すると、株主間、親会社の株主間の利害調整は、親会社となるべき会社の株主間の利害調整は組織再編並みに特別多数決という形で行う、子会社となるような会社の側は株主が自発的に株式を差し出すという形で、やや不完全な形の組織再編になぞらえてつくるという形であれば、比較的現行法の枠の中で、大きな論理的な飛躍がないまま導入できると考えられたのが基本的な発想なのではないかと思います。
ただし、その結果、逆に制約が生じてしまったところも否めないところでして、例えば外国会社を対象とする形ではこの制度は使えなくなってしまいました。現物出資の特則としてつくったならそういった形の使い方もあるいは可能だったかもしれないので、そういう意味では長短あるんですけれども、現行法の枠内で、現行法の価値判断を尊重しながら無理なくつくれる形としてこういう形の制度が提案されたんだと理解しております。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
いろいろな判断の下でということで、今、よく分かりました。外国会社との関係も含めて。
最後、ちょっとお時間の関係で、お伺いしたいのは、これは木村参考人と大久保参考人、で、お時間あれば藤田参考人という形になると思うんですが。
いろいろ今までも議論があり、この会社法の改正の本源的な問題かもしれないですけど、会社はやっぱり誰のためにあるのかというところである。いろんな意見はあると思うんですが、少なくとも投機的な、短期的利益しか考えていないような株主利益だけが追求されると会社というものは持続可能がなくなって、多くの人が、また、とりわけ濫用的な株主の意見だけが反映されるようになってしまうと、会社というものの存立自体がおかしくなるということは確かだと思っておりますし、従業員だったり債権者だったり、いろんなステークホルダーのためにあるという会社の取組をしっかりつくっていくことが重要であるかなというふうに思っております。
他方で、会社の所有者は株主というこの理論の上にそれを実現するためには、やっぱり株主自体の投資活動が、株主以外の利益も含めたステークホルダーの向上こそが企業価値の向上だという、そこで、企業価値という概念の下で株主とそれ以外の利益が一致する感覚が必要だというふうに思うんですが、株主の活動をそういう形で、株主以外の利益も含め、社会的な存在としての会社の社会的な役割を発揮して果たすことが企業価値も高めることになるというふうに向けていくにはどうすればいいか、ちょっと大きな話で恐縮ですけど、木村参考人と大久保参考人の御意見をいただければというふうに思います。
○参考人(木村結君)
ありがとうございます。
まさしく私たちが三十年前に、脱原発ということを掲げてはおりますけれども、やろうとしたことというのはそういうことだというふうに私は理解しているんですね。今は本当に投機的な会社も株主も増えて、先ほどの話でも、その三割がもう外国の投資家が株を持っているというような日本の状況もあって、とても私はその辺も憂慮しております。
やはり、会社というのは、株式会社三千五百社というと、大企業もあり中小企業もあり、非常にやっぱりそれぞれ状況が全く異なりますので非常に難しいとは思いますけれども、やはり私が考える会社というのは株主のものというふうには言い切れないと思っているんですね。やはり、従業員のものであり、その家族のものであり、それから社会全体のものであり、地域社会のものでありという、やっぱり複合的にみんなで支えていって、みんなでやはり繁栄とか、それから社会の中で育ててその利益をみんなで分配するというものが本来の私は会社の姿ではないかなというふうに思っておりますので、やはり会社が正しく動くために、会社が正しくもうけるためには、株主の力も、それから従業員の力も必要だと思っていますので、ただ単に株主の権利だけを私たちは追求して、配当金をたくさんよこせとか、そういう活動をしてはいないです。常に、個別の、取締役の個別報酬の開示であるとかそういうものを出して、もっと本当に社会に開かれたものを、会社を目指すという活動をしております。
以上です。
○参考人(大久保拓也君)
ありがとうございます。
会社は誰のためのものかと、非常に大きなテーマですけれども、基本的には株主の、株主が会社の所有者だと、こういう位置付けになろうかと思います。特に破綻時、会社が破綻したときにどう再生するかとか、そういった意思決定を行うときに、ステークホルダーの利害関係よりも、やはり株主が、この会社の解散等をするのか再生するのか、そういったところを判断するときに関わってくるのではないか。そうであるとすると、やはり株主の利益というのが重要かと思います。
ただ、健全に会社が機能しているときを考慮しますと、経営者にこの社外、ステークホルダーを含めた利害関係に対して業務運営で目を向けるような取組を促すとか、そういったところはできるのではないかというふうには思っています。
○参考人(藤田友敬君)
じゃ、できるだけ手短に私の意見も申し上げさせていただきます。
まず、会社は誰のものかという議論というのは非常に答えにくい議論です。なぜかというと、ものであるの意味がよく分からないからです。ものであるというのはいかなることを念頭に置いているかというのは実はよく分からないところで、取締役の行動規範を問題にしているのか、それとも最終的な意思決定者を問題にしているのか、その辺りがどうもよく分からないからですが、ただ、一般論として申しますと、やっぱり究極の目標は社会の、社会厚生の最大化、社会全体の富の向上なんだと思います。
ただ、そのために、会社法のレベルで何を規範として、とりわけ役員、取締役に、経営者に要求するかとなるとなかなか難しい問題です。じゃ、社会の富の最大化が問題なんだから、ありとあらゆるステークホルダーの利益を最大化させるという規範を取締役に課すべきかと言われますと、非常に問題なのは、そういう非常に広い役割を課してしまいますと、余りにも広い裁量を経営者に与え、結局は無責任、結局は自分の利益を図るようなことを正当化しかねないというリスクがあるからです。
そこで、伝統的な会社法学は、あくまで取締役の行為規範というのは株主利益最大化、ここで言う株主利益とは、御指摘のあったとおり、短期的なものではなくて長期的な持続可能な株主利益ですけれども、それを最大化する。しかし、それ以外のステークホルダーの利益は、外からの外在的な制約で保護する。債権者の方は、もう会社法の中でもある程度保護していますけれども、労働者の利益、環境の配慮、そういったものは、外からの制約、これはハードローに限らずソフトローも含めてだと思いますが、そういったもので保護する、そういう言わば条件付最大化という枠組みは従来取られていた発想だと思いますし、基本的には、私も現段階ではそういう枠組みの下であるべき制度を探求するべきではないかと考えております。
○矢倉克夫君
ありがとうございます。
株主がそういうふうな活動をするようにインセンティブを与えるのが政策の役割だなと思いました。
ありがとうございました。以上です。