世界を舞台に磨いた国際力
2025.04.03 07:00(3か月前) ブログメディア掲載情報 |矢倉かつお
国際弁護士として活躍した矢倉かつお党青年委顧問に聞く(参院議員)
公明的ライフハック<ダイジェスト>
“海の向こう”に憧れた幼少期
――矢倉議員は国際弁護士として米国で働き、勤務中に中国にも語学留学された経験があるとか……。どんな幼少期を過ごしたのでしょうか。
矢倉かつお・党青年委顧問 私は横浜市の出身ですが、山下公園や中華街の近くということもあり、幼少期から多文化の環境に触れる機会が多かったです。華僑の友人と剣道を習ったり、近所には米軍関係者の家族もいて、外国の子どもたちと遊ぶこともありました。
幼い頃からたくさんの触れ合いがあったので、自然と“海の向こう”への強い憧れを持つようになりました。
――海外で働こうと決意されたのはなぜですか。
矢倉 弁護士の仕事をしていた当時、外国企業や海外のクライアントと関わる機会が増えてきました。その際、日本の法律を深く理解するためには、他国の法律と比較することが不可欠だと気付いたのです。
米国と中国で苦労も学びも
――日本と米国の違いで驚いたことはありましたか。
矢倉 多様性の国と思っていた米国が、中絶に対する理解など、道徳や価値観で深刻に対立している現実は驚きを感じました。仕事に関わるところで一番感じたのは「ルールの捉え方」ですね……。日本では、法律に対する捉え方はすでに決まっているものをどう解釈し、当てはめるかという発想で動いています。一方、米国ではルールは「作り出す」ものという考え方が強いんです。
――中国にも留学されていますね。なぜ中国を選んだのですか。
矢倉 2000年代初頭の当時、中国は北京オリンピック前で急成長しており、日本でもビジネスの観点から注目されていましたが、「近い割に中国のこと、あまり知らないな」と思ったのです。それで一念発起、職場に頼み込んで無給でしたが中国の大学に飛び込みました。
――中国での生活はいかがでしたか。
矢倉 まったくの中国語初心者だったので、タクシーに乗るのも一苦労でしたね。ただ、耳が慣れてくれば漢字の知識がある分、中国語は欧米人より有利ですよ。半年間、とにかく寝ても覚めても中国語漬けの生活を送り、少しは話せるようになりました。
挫折で見えた「本当の自分」
――米国、中国に単身で行き、孤独を感じませんでしたか。
矢倉 当然、孤独感はありました。ただ、挫折感と言った方がいいかも。米国に行った当初、英語が通じなくて、「こんな所に来なきゃ良かった」と思っていた時期がありました。力不足を痛感して、自分の中の鼻っ柱を何度もへし折られました。でも、だからこそ、自分を見つめ直すこともできました。
そして、ある日、そんな自分にも無限の可能性があることを実感する機会があり、自分を客観視して「自分は本当は何がやりたいのか」と常に問い続けることができた経験は、私にとって大きな財産になっています。
――これから海外で働いてみたいと考える若い世代へのメッセージをお願いします。
矢倉 「迷うなら行くべき」です。昔は海外に行くハードルが高かったですが、今はスマートフォンや翻訳ツールのおかげで、挑戦しやすい環境が整っています。若いうちに海外に出ることで、多様な価値観に触れ、新しい可能性を発見できるはずです。
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